踏査最后的

自来水ポンプ場

昨晩は横の屋上テラスで英語組が3名様、深夜まで大声で喋って賑やかしかったが、だうも其の喋り口調や笑ひ声が妙。単にアルコールだけの力とは思はれない、何とも奇妙で歪んだな笑ひ方喋り方で、真偽の程は定かではないが、多少薬物の気配もあるな。桑原桑原茂吉斉藤・・・
さて、今朝は昨天発見しておいた「早点」こと朝食提供屋に出掛け、店先の傾きたりける小さなアルミ机に陣取って三明治三種三様とぎうにう珈琲。三明治(サンドイッチ)は玉子焼きだのハムだのレタスだのミニソーセージだのけっかういっぱい挟まれてゐて、1個15元てう安さ。さすがのパン喰ひである我輩も3個食べれば腹いっぱいで、合計75元即ち約300円弱の大満足。
一旦帰宿し、そろりそろりと荷物の取り纏めを始め、10時の約束時間になったので近くの写真屋へ。4本出したフィルムのプリント、はがき大でミニCDへのデジタル化込みで合計900元ちょっと。3500円が安いか高いかは人夫々だらうが、今回は作品的価値の高い場面が多く、コニカの発色も良かったので、良しとしておかう。
一旦外出すれば数分と待たずに大汗必至の気候ではあるが、冷房の恩恵を最大限に浴せむが為、チェックアウトは12時直前まで粘る。荷物を服務台に預け、昨天まで行くことが出来ないままでゐた自来水博物館を目指し、MRT乗り継ぎ公館へ。此処は国立台湾大学のある学生街であり、若者多く、各国からの留学生らしい姿も多く見ゆ。駅から徒歩10分ほど、自来水とは即ち水道水のことであり、日本統治時代の水源地を再整備した博物館兼遊戯施設。圧巻は明治41年に造営された旧ポンプ室で、美しくクレセントを描くレイアウトにギリシャ神殿を連想させる列柱と破風飾りの外観。中は階段式の巨大なポンプ室となってゐて、往年のポンプが黒く塗られて荘厳な雰囲気で眠ってゐる。
建物後方には、配水池や貯水池の跡地がそのまま、散歩道として整備されてゐるのだが、台湾政府の日治時代の建築物に対する史跡としての真摯な態度がよく現れており、非常に印象的な遺跡であった。なお、周囲にはおそらく噴水池なのではないかしらむと思はれる浅い池が何箇所かに有ったが、それらは全てコビトたちに占拠されており、プールのやうでプールでないやうな非常に形容し難ひ奇妙な情況を呈してゐた。こちらでは基本的に、服を着たまま水に入るやうであるが、聞けば温泉でも水着着用のところが多いとのこと。
さて、折角の冷気も既に体からまるで失せて、早くも全身大汗。公館駅近くの歩道橋に登って行き交ふ人々や車の様子を写真に収めてゐると、北方の雲行きが怪しい。何ともはっきりしない灰色雲の壁が接近中のやうであたが、果たして、MRTで台北駅まで出、地上に出てみてびっくり、またしても大雷雨になってゐた。
とりわけ、台北駅周辺の大廈に反響する雷鳴凄まじく、地上の出入り口付近でそこはかとなく眺めてゐると、其処此処の大廈屋上や鉄塔尖塔あたりにどんどん落雷してゐる様子。今天は小一時間待っても止まず、ビルの谷間で2時間近く、雷雨見て過ごす。
やうやう止んだ雨の隙間を見て、駅脇の国父史蹟記念館へ。此処はもと梅屋敷なる日本旅館で国父こと孫文先生が台湾に立ち寄った時に宿泊したことを記念して、日本庭園ごと整備保存されてゐる。駅に隣接してゐ乍らも、まさに知る人ぞ知る史蹟なのだらう。土砂降りの雨のお蔭様で、庭園の緑は潤ひ、池の中の人面魚たちはたいそう元気が宜しい。
さて、さうかうするうちにそろそろ基隆に向かって出立せねばならないかしらむと思ひ、宿へ。荷物背負って再びみたび台北火車站へ。汽車にしやうか火車にしやうか迷ったが、汽車ターミナルまで歩くを倦むじて火車に決定。区間列車ことローカル線で基隆までは一時間弱の42元。国内線用空港のある松山駅周辺も大開発途上の様子。南港、汐止、五堵、百福、七堵、八堵、三坑を経て基隆へ。チェックインまで相当時間有った為、一旦ターミナルに荷物置いたまま、港周辺の下町へ。
古い建物多く道も狭く、当然騎楼の幅も狭いのだが、スクーターや車のサイズは大都会と変はらないワケで、ごちゃごちゃとした混沌の中を掻き分けて廟口の観光夜市へ。此処は固定の屋台で、日本語で何を売ってゐるのかも書いてあるが、夜を待たずに既に人でいっぱい。そんな周辺の路上には移動式屋台が開店準備を開始しており、その傍らでは違法屋台がやってきた警官から逃れやうとどんどん奥の方へ移動して行く。其の余りに頼もしげな亜細亜の混沌に大満足しつつも、ちゃっかりいくつかの料理をつまみ食ひしつつも、あまりの人の多さにうんざりしつつも、日没までさ迷ひ続けた。
さて、予定では6時半からのチェックインだが、実際に船に乗れるのは8時半。岸壁には既に有村の飛龍が停泊しており、先づは下船する者たちの入国手続きが開始されやうとしてゐた。
見れば、台湾人の帰国が20名ほど、日本人や外国人旅行者が5名ほどの様子。うち、バックパッカーは2名様てううちわけ。さて、チェックインが開始されたのはよいが、有村から渡された紙に書いてあった「出国税492元が徴収されます」とはいったい何処の国の話か?てうほどで、服務代40元が徴収される。しっかり計算し、買ひ物も残金の厳しい管理の下で行ってきたにもかかはらず、最後の最後で450元も余ってしまふことになり、意外に遺憾。悔しいので走り出て至近のコンビニでワケのわからんものいくつか買って、あとは諦めて乗船を待つ。乗客のうちわけは、日本人旅行客が12名(うち8名は台湾語を喋ってゐる人々)、西洋人が2人、あと台湾人然とした人々が20名ほど。
8時半、乗船。船の服務台で小姐に出国税のことについてクレームを申すと、此の紙を配ってゐるのは那覇か石垣かと問ふ。石垣であると答へると、何やらちょっと諦めたやうな顔つきになって「すみません、申し伝へておきます」とのこと。今更台湾元など両替は出来ないので、致し方ないが・・・
船は予定より早く(なんで?)、午後9時半過ぎに出航。狭い運河の突き当たりに有る岸壁だが、両側には海軍の戦艦が停泊中。町の眩ひ光が遠ざかり、コンテナ埠頭のオレンジ色の光が大半になり、やがてそれらも遠くに消へて行く。
今回艦内はなぜか、空調非常に緩く心地よく、用意しておいた長袖ジャージも必要なし。同室は日本人ばかり、台湾滞在10年目の社会人様と、石垣からちょっと台湾三日間覗き見式の若者様と我輩の三名。隣は台湾人家族のコビトが大集合し、遅くまでゲームなどして大盛り上がり、大いにうるさい。でも、午前零時とともに誰か年長者が一括したやうで、急激に静かになった。
なぜかNHK-BSで、建築と宇宙論(エレガントなひも理論)の番組など見乍ら、眠りに就く。