自南到中

日本時代の駅舎

朝もはよから熱いシャワーなど浴びて、御大名様の如し。
思へば、日本における自宅の風呂は壊れたままなので、夏でも冬でも原始的な行水で過ごしてゐる我が身を思へば、何たる贅沢。但し此れは、他人様には適応されない領域の贅沢だらうね。
さて、荷物背負って9時頃チェックアウトし、其の足でモス(摩斯)へ。三明治(サンドイッチ)のセットはやめて、培根鶏蛋堡外套(ベーコンと玉子焼きのバーガー)セットにしてみた。飲み物は熱い珈琲で、なかなか相性が宜しいの55元。
10時1分発の自強号に狙ひをつけて、直ちに買票。駅舎内部も月台ことプラットホームも、そこはかとなく日本のちょこっと昔の風情十分で、実に奇妙な感じ。火車は予定より2分遅れで到着し、3分遅れて開車。それはそれは快適な、日本で言ふ特急相当の列車で、各座席は床屋の椅子の如く強力にリクライニングされるのであって、自分も少しは倒さないと前の人の頭が結構近くに来る。進行方向右側の窓側で喜んでゐたものの、じきに強力な日差しに負けてカーテン閉める。すると不思議なもので、忽ち少し眠気来て、うとうとしてみたりの約2時間。お昼頃、何ら難なく台中に到着せり。
さて、此処の駅舎も瀟洒かつ重厚なネオルネッサンス様式の造りで、大正6年の竣工。台湾人に訊ねても、台湾でいちばん美しい駅舎だと言ふだけのことはある。表示によれば、内部などかなり改変されてゐたやうだが、2005年に竣工当時に復元されたとのこと。改札の脇に何故かこれまたモスバーガーが有るが、こんなものは竣工当時にはもちろんなかっただらう?
人目など一切憚らず、駅舎方々の写真を撮り巡り、駅前広場へ。半月形のロータリーになってゐて、周囲に長距離バスと市内バスの発着所がずらり並ぶ。当然人間や自動車の往来は極めて多く、実に喧騒の只中である。予定した宿はそんなロータリーに面したところに有って、駅から徒歩1分。富春大飯店は1Fがコンビニと快餐食堂になってゐて、服務台の日本語喋るおばさんに拠ると、一番安い部屋は530元だが窓が無いので、620元払って窓の有る部屋に泊まりなさいとの仰せ、の如く直ちにチェックイン。3Fの其の部屋は、正に喧騒のロータリーに直接面した部屋であり、駅舎も斜めから一望できる位置環境にて、うるささよりも面白さを採用して満足する。うむ、確かに美しい駅舎だ。
さて、何もしてゐないのに妙に疲れの出ることは稀にあるもので、夕方まで眠るでもなく、真剣にテレビ見るでもなく、大きめのバスタブに湯を張って沈んでみたりと実に倦怠的に過ごし、黄昏を待って吸血鬼の如く街歩きに出発。
先づは明天に予定した鹿港(ルーガン)行き汽車の発着点を確認セムと台中公園方面を目指す。駅前は台南同様、矢張り予備校や語学学校あふれてゐて、どこぞの国のやうに消費者金融の看板など一切無し。直ぐ近くに市場が有るやうで、当然こんな時間には全て閉まってゐるのだが、市場街独特の臭ひする。
指南書頼りに汽車公司探すもなかなかそれらしきもの見当たらず、台中公園に出てしまった。まあ明天になればそれなりになんとかなるだらうと高を括っておき、ふらふらと公園内へ。ベンチに佇む老人たちや、黙々と競歩の如く歩き回る人多し。日本時代の神社本殿の跡と思はれる高まりの東屋に登ってみたり、池の水面を漂ふ何者か知れぬ鳥の姿追ってみたりとしばし。
その足で期せずして中華路の大規模夜市に出る。時刻は午後8時前後だが、見れば夜市の本格化するは今からのやうで、小さな路地からいくつもいくつも屋台を引ゐたおじさんおばさん娘や子供たちが湧いてくる。此処でもすかさず担仔麺を発見し、屋台背後のテーブルに着席。矢張り煮玉子入れて、此処は40元。味は台南の勝ち。
基本的に屋台料理の大半は量が少なく、例へば担仔麺は日本の汁椀をほんのちょこっと大きくした程度の量なので、単品で腹が膨れるわけではない。次の獲物を狙ひ乍ら、東西500m以上にも及ぶと思はれる夜市を散策。次に目に留まったのが広東式粥の屋台で、久しぶりに皮蛋(ピータン)痩肉粥を注文。何とも程よい塩加減と、極めて上品なトリガラスープの味にピータンアンモニア臭が絡み、細かめに絡められた玉子や香菜、そして細かく刻んだセロリと油條がトッピングされてゐて我輩好みの最高のお味。大満足の50元。あとはお決まりの木瓜牛乳飲んで、ふらりふらりと騎楼の間を抜け、駅前に帰り着きたりける。
時刻は午後11時半。汗ばむ背中を嫌ひ、再度湯船に沈む。今天の日本語稼働率は12%といったところ。