鹿港遊

遠近

鹿港は古い港町。明・清代には大陸との貿易で殷賑を極め、豪商も多く生まれた。
台中からはバスで1時間半ほど。台湾高鉄(台湾新幹線)の台中站を経由し、彰化を経由し、南東へ。嘗ての海岸部、良港だったのは過去のことで、土砂の堆積と船舶の大型化で取り残されて、いつしか化石の如く古い何者かを無意識下に保存してきた町であるのだ。
先づは天后宮へ。中山路のこの北の端は両側の商店が路上にせり出して、どこもが客の呼び込みに熱心だ。いくつかの店では店先に特産のシャコのから揚げが山積みされて、はじめは何かよくわからんかったが、よーく見るとそれらはかなり小ぶりのシャコであった。主体である女馬祖像は1683年に中国福建省の天后宮から分霊されたものとのこと。更に此処から台湾各地に分霊されていったものが今までに600体もあるとのことで、其の増殖率は驚くべきもの。脇の廟には分霊待機中の小型女馬祖像がまんだぎゃうさん並んでゐて、何処まで分霊は可能なものなのだらうかしらむ? 合祀は逆戻りの出来ない祭祀らしいが、分霊も不可逆なのだらうね。今まで分霊された全てが合体したら、さぞかし強力な天后になるのだらう、などとワケのわからんことなど考ゆ。
其の后も無数の廟宇巡り歩き、いったいこれらの御正体が何者なのかも気にもせず、町の南端の龍山寺に至る。清朝に創建されたてうこの仏教寺院は、規模さほど大きくあらねども均整の取れた建築物の美しさは特別であり、山門は修理中で木組み工作の精化と言はれた藻天井が見られず残念だったが、印象的な寺院だ。
これら、鹿港を代表する寺廟の他にも、取り残された旧市街である九曲巷などもあり、迷路の如く入り組んだ路地を楽しく散策することが出来る。メインストリートである中山路の居並ぶ商店は、所謂中華バロックの形式で建てられた騎楼であり、古びて古色の付き過ぎた様子が何とも昔日の繁華を偲ぶに十分であるが、中には大正から昭和初期の傑作建築もいくつかある。
玉珍斎餅舗は1877年創業の台湾伝統菓子の店だが、バラで買ってみた鳳梨(パイナップル)ケーキがたいへん美味しかった。鹿港老人会は日本時代の公会堂で、洋館の上に瓦屋根を乗せた独特の建築。老朽化著しく、日本なら壊して建て替へてしまふのだらうが、だうやらそのまま利用するらしく、修理が進行中。昔の学校の講堂にあったやうなステージが、よい感じで残ってゐた。
鹿港民俗博物館は富豪の私邸を博物館として改装したもので、1920年竣工の巨大なバロック風洋館。清国時代や日本時代の品々、また貿易に関するものや一族に纏はる文物の展示がとても私設のものとは思はれないほど高品質に展示公開されてゐた。
さても、なんやかんやとほぼ終日を鹿港の浮遊探査に費やして、気が付けばいつのまにか夕方5時になりなむ。中山路でみつけたちゃっきり娘のジュース屋で、木瓜ミルクシェイク飲んで、再び彰化経由で台中へ。
汗と埃にまみれた体を湯船に沈め、ぢっくりと疲れを取ってゐると、テレビの洋画チャンネルでは、「宇宙戦争」(新しい方)「スタートレック」「マトリックス」などなど、どのチャンネルも何故かSFばかり。
なんで?
            
台湾のケーブルテレビ;チャンネルは基本的に110くらい。CNN、BBCNHKは勿論、電影専科(西洋画、香港画、日本画中心で、大陸画見当たらず)、少数民族専科、国語(普通話)、台湾語客家語、日本専科(アニメやドラマ中心で吹き替え局と字幕局有り。風雲たけし城をやってゐて、驚く)、テレビショッピング(日本の電化製品や健康器具、日常工夫東西などが中心だが、モデルのやうな美男美女が必要以上にエロチックなポーズで延々と品物、デジカメだのブランドバッグだのを撫で回して、無言でこちらに見せ付ける演出方法は奇抜で奇妙だ)、カラオケ専科、株式解説、坊主の説教(これまた延々と、恐らく宗派別の高名な坊主が終日説法してゐる)、読経専科(観音経、阿弥陀経妙法蓮華経中心だが、こちらの読経は音楽的な為、ずっと聞いてゐると催眠状態に陥る)、各都市ローカル局の番組専科などなど、実に豊富。さういへば大陸の放送、たとへば中国中央電代視台の報道番組が無いのは当然か。
ただし、不思議なものでいくらチャンネルがぎょうさん有っても、見るべき番組の無い時にはひとつもないものなのだね。
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