昭和の何たるか

昭和的な風景?

今宵晩春十三夜。
嘗ての天長節*1昭和天皇誕生日*2となり、奇妙な「みどりの日」を経て、何時の間にやら「昭和の日」になっておりましたそうなげな。
曰く、「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思ひをいたす」の日とぞ。壱昭和人といたしましては、さうさうそれなりに思ひいたすところも数々御座ゐますが、偲び懐かしむばかりが「善きこと」ではあるまい。でも、夜、教育テレビで放送してゐた寺山修司の番組*3はなかなか面白かったな。奇怪で摩訶不思議で、神秘的で土俗的な世界観は極めて「劇的」で、独特だ。詩人の感覚は常に鋭利に、社会と人間の深層を切り裂き続けたのだ。
1969年1/18、東大安田講堂の抗争や、同年のアポロ11号の月面探査の様子等は自宅の電視機で見てゐた記憶が有るし、翌年の大阪万博は何度も通って実体験し、血肉の一部に浸透した。其の頃頻繁にTVで放送されてゐた LET IT BE のCMは良く意味が分からず、LP~ LP~ と歌って新しいLPのことを歌ってゐるのだらうと勝手に思ってゐた。フーテンもヒッピーもサイケも何もかも、昭和後半の一コマだったのだね、などとしみじみ蜆。
(−_−)タケノコも?
             
今天は午後遅く、電脳用の外付け硬盤を探しに大都会は下町の門前街へ。
穏やかな連休中日の夕暮れ前とあってものすごい人出で、電脳店の中まで満員御礼状態。数店舗を経巡り、価格を確認した結果、昨夜電絡網で調べた所謂 net 価格の方が数千円安いことが判明し、店舗での購入は控ゑることに。日没後はお気に入りの雑貨屋を漁り、要るやうな要らんやうなわけわからんもの買って帰るも亦、をかし。
ついでのひとこと。そいでもって帰りに立ち寄った超市でミニトマト「とか」買ったのだが、売り場には「どこどこのなになにさんが作りました」などと具体的な生産地や生産者の名前が書かれてあって、「地産地消」が大いに宣伝されてゐた。このやうに生産者名を記したり、顔写真を入れたカードの入った野菜等を良く見かけるが、果たして意味のあることなのだらうか? 「生産者が明示されてゐて安心」だの、「此の近くで作られたものなので安全」だのてう消費者の声を聞くこともあるが、果たしてだうだらう。生産者の明示と農薬の有無は無関係だし、消費地と近いこともまた、農薬や保存処理の問題とは関係無い。そりゃー中には記された生産者に直接問ひ合わせをしたり、生産現場を訪ねて行った消費者も居るだらうが、大半の消費者には心理的作用*4を齎すに過ぎない。
(−_−)などと思ひますが、どーでせうか。
                

ベスト歌謡曲100~ザ・ヒットパレード

ベスト歌謡曲100~ザ・ヒットパレード

*1:1927(昭和2)年から1948(昭和23)年まで

*2:1949年〜1988年

*3:弁士役の自称映画監督?の声は甲高く耳障りで、その語り口にはエスプリの欠片さへみられなかったが、彼もまた寺山世界に棲息する畸形の一人と解すれば、寛容されるものかもしれない。

*4:擬似的な安心感?