或る症状

合掌?

昨日今日始まった事ではなく、若い頃からしばしばあったことだが、最近頻度が高まったやうに感じる現象(症状)がある。
或る特定の人と対面して会話してゐる時、肉体のとりわけ頭部と、会話をしてゐる御正体である精神?とが確実に乖離した状況下にあるなと自覚する瞬間が有るのだ。頭蓋骨が単なる器かお面のやうなものと感じられ、そこに開けられた眼孔から外界や目前の人物を覗き見てゐるやうな虚ろな感じ。会話の主題を外れる事は決して無いのだが、正面に座ってゐる人のかむばせやその表情以上に、狭小な空間に幽閉されてそこから外を垣間見てゐる我が魂の理不尽な状況の方が気になって仕方が無い不可思議な間隔。
是をして直ちに、霊的な現象であるとは少しも思はないが、解離性人格なのか幽体離脱状態なのか、分裂状態の一端なのかそれとも単なる気のせいなのかは判然としない。ともかく、何とも肉体的には居心地の悪い状態に陥る瞬間(といっても数分から数十分にも及ぶ事もあるが)をリアルタイムで自覚出来てしまう状態が最近よくあるのだ。
自らの人格の異常性については、高校生の頃から倫理社会の教師に因ってしばしば偏執狂的資質の顕現が指摘されてきたし、当時しばしば行はれてゐたクレペリンテストの有る毎に呼び出され、再検査や面接検査をされることが普通であった。かといって多重人格性は皆無であったし、躁鬱に関しては過去のごく短期間を除ひては正常の範囲にある。逃避と逐電を常とする行動パターンはここ30年間ほぼ一定であり、最早我輩個人の本質として広く世間様にも認定されつつある。しかし、自分的にもまだまだ馴染みが薄く違和感を感じるものが、先に述べた覗き見感覚だ。心理学的にはきっと何らかの病理的な名称が存在するに違ひ無いが、雲表の国からの帰還以後、発生頻度が高まりつつ有る事は確かなので、物理的な高度変化や気圧の変化が誘因となっている可能性も否定出来ない。
更には、もし此の現象が特定の種類の他人との会話に於いてのみ発現するとなれば、その相手の肉体的精神的心理的特徴をも分析する必要が有るし、対象が複数でありしかもグルーピングが可能であるとすれば、クラスター的分析も必要かもしれない。一見何ら共通性も無いやうに見える人々の集まりが、実は誕生日が同じであったり名前が同じであったり、地球上の緯度が同じところに住んでゐたり同じ種類の車に乗っていたりすることはしがしば有る事であって、外見だけでは知る由もないことは多いのだ。
とまれ、この先もし此の症状が頻出し、日常的な工作活動にまで支障を来すやうになってきたなら、密かに温存してある逐電力と逃避力を最大限に発揮して、自爆もしくは蒸発または消滅に至るプロセスを愈々開始せねばならぬことだらう。
物事には潮時てうものあるのだから。
但し、経済力だけは未だに無い。
(−_−)
     
     
     
韓国の梵唄 霊山斎/太古宗奉元寺
     
      
今宵、半月、弓張月。