嗚呼、学べない人々よ!

飽くこと無き破壊

イランには一度しか行ったことが無い。
トルコのドゥバヤジットから陸路、アララト山を彼方に望む道でピックアップトラックをヒッチして国境まで。アタチュルクの肖像画の掲げられた質素な事務所で手続きを済ませ、イラン側まで。トルコからの荷物を満載したトラックが何十台も、そしてトルコ帰り?のイラン人が百人以上も、イミグレーションに向かって大行列を作ってゐたが、警備員の一人が戸惑ふ我輩に気付き近付いて来て一言、「Are you Japanese?」とぞ。
勿論 Yes, sir! と答へるや否や、Wellcome wellcome! と満面の笑みで我輩の荷物を支へ乍ら、行列中の数百人の脇を通り抜けオフィスに通してくれた。イミグレーションの係員もまた、極めて友好的でにこやかに、最優先で手続きをしてくれた。ホメイニの肖像画の掲げられた部屋で。
其の後、各詳細は記さないが、入国からパキスタン方面への出国まで3週間弱、マクー、タブリーズテヘラン、イスファハーン、ケルマン、バム、ザーヘダンと文字通り駆け足横断だったが、その間の見聞と体験は我輩のイランに対するイメージを決定づけるものとなった。話し好きで人懐っこく、とりわけ日本に対しては好奇と尊敬と憧憬の眼差しで接してくれる人民。もちろん、彼らが評価してゐるのは我輩の存在そのものではなく、世界に流通してゐる日本製品だらうし、日本円だらうし、「おしん」の放映に因って形成された幻想としての日本像なのだらうことは承知してゐる。しかし、小さな無名のバックパッカーでさへ、一旦海外に出てしまえば好む好まざる二に係はらず、頭上に日の丸を背負って歩かねばならないのだ。いくら祖国を否定しやうとも、どこぞの国に亡命しない限りは、菊の紋章の入った日本国のパスポートを持って歩く限り、フジヤマゲイシャとトウキャウジャパンを背負って歩かねばならないのだ。
イランでは確かに、ホメイニ師亡き後も宗教指導者や原理主義者を中心とした保守派の影響力は巨大だが、かといって人々の民主化に対する情熱が冷めてしまったわけではない。現在のアフマディネジャド大統領は何やら非常に危険な香りを発散してゐる人物だが、かつてのハタミ氏のやうな聡明な学者肌の指導者を戴く力も、人民の中にまだまだ潜在的に存在するのだ。今となってみればメリケンかぶれのパーレビが少し極端だったのだらうね。未だにそのアレルギーが残ってゐるほどだ。しかしね、9/11の悲劇の時、イスラム国家で犠牲者に哀悼の意を伝へる大規模な集会を開いてゐたのは、何を隠さうイラン国民だけなのだよ実際は。
何故此のやうなことを書くかと言へば、今朝のサンデープロジェクトで見たイランの実情が、アメリカに因って世界に喧伝された恐怖国家としての虚像と余りにも乖離してゐたことを再認識したからだ。個人的にも東京で何度かイラン人に助けられた我輩であるが、そのことはさておき、誇り高きペルシャ人の文化と生活を、ただただイスラム国家だからと言ふ点だけを誇張して他のイスラム恐怖国家の活動とこじつけて大仰に取り上げる。それがメリケン様の常套手段なのだが、メリケン様の愚民達はそんな煽動に諸手を上げて大いに乗りまくり、正確な現状も知らされぬうちに話はいつのまにか戦争へとまっしぐら・・・ 
Deja Vu ..........
嘗て何度も見てきたではないか、このパターン。何度も何度も経験してきたではないか、このプロセス。大統領様の支持率が低下しはじめたら、どこかの仮想敵国に数発爆弾落とせばよい。その翌週には支持率も忽ち回復だ。そんな馬鹿らしいほどアホらしく単純なメリケン様に、これ以上付き合ふ必要は微塵も無い。落とされた原水爆の代金として?、既に莫大な日本円を献上して来たではないか。
イランの民主派女性議員が言ってゐた、メリケン民主化運動が盛り上がる毎に介入し、結果的に保守派の台頭を助長してゐる、と。それも一度二度ならずとも何度も何度も。まったく歴史に学ばないのだね、あの国の人たちは。いや、学べないのだらう。哀れなるかな・・・
核兵器疑惑が有るならば、日本は独自な外交ルートで探りを入れ、宗教的世界観に偏ること無くその実情を世界に伝へればよいではないか。日本とイランは石油を通じて深い繋がりが有る。その最も重要な点は、「メリケン様を介さない」てうことだ。何故ヒトの顔色ばかり見てゐる必要が有るのか、我輩にはよくわからないが、錆びてしまった赤玉をいくら磨いても、錆び止めスプレーを吹き付けても、まう元には戻らないのだらう。
      
イランの音楽 ?栄光のペルシア  カイト・ランナー