内と外

陰影に満ちた美しき空間

現代の家屋にどれほど日本の伝統的な要素が残ってゐるのかはよく知らない。
土間や縁側、障子や床の間など、伝統家屋の諸要素が消へつつ有ることは確かだらう。ここ数年のうちに、近所に建て替へを行った家が3軒有って、そのうち2軒は大手住宅メーカーのモデルがそのまま採用されたやうな外観。見たところ雨戸もシャッターだったりするし、廊下のやうなものはあるが縁側は無さそうだし、風流さは殆ど感じられない。
残る1軒は所謂当地の伝統に則った大きな二階建ての日本家屋で、複雑な入母屋の瓦屋根が特徴。勿論、見てわかるところに縁側が有るし、玄関とは別に脇の方には主にお年寄りの出入りする勝手口が付いてゐて、その奥は土間のやうにも見へる構造だ。
農家が多いこの地区だが、そんな生活形態で住まう者にとって、外でも内でもない曖昧な空間が如何に大切かてうことは、言ふまでもない。汚れた風体や裏の畑で取りたての野菜を抱へて帰って来たとき、勝手口の軒先に設けられた水場で手足や野菜などがじゃぶじゃぶ洗へたりすれば便利だと思ふ。そこは家の外でもあり同時に中でもあるので、高温多湿の夏には開放された戸口から水が屋内に涼気を齎し、冬期は引き戸で区切られて庭の一部と化す・・・
曖昧の恩恵と利便性を捨ててまで、必要以上に気密性の高い現代住宅に住む価値は何処に有るのだらうかしらむ、などとふと思ふ。もっとも、我が陋屋は建築後少なくとも80年以上経った典型的な古典様式の日本家屋だが、多少ならず隙間風ひどすぎて冬はかなりの忍耐力を要するが・・・
まさに風流の極みにて候。
     
    

縁側←→宇宙

縁側←→宇宙

     
             
    
「風流」とは文字通り、風の流れて寒きことなりき