ひものおはなし

美しく絡まりたりけるぞ

女を働かせてのんべんだらりと暮らしてゐる男の話、ではない。
   
この宇宙は何時か崩壊するのだらうが、そんな時に我々の意識は何処に行ってしまうのだらう。
量子論的に言へば、我々個々が意識した瞬間にこそ宇宙は存在するのであって、鏡を見ていない時には鏡の中には自分は存在していないのだ。同様に、中秋の名月であらうが三日月であらうが、月から目をそらせてゐる間には、この世界に月は存在していないのだ。
意識とは、宇宙を瞬時に発生させることが可能なほど万能崇高で厳格なものだが、一方で情緒的且つ粘り気が有る流動的なものでもあるやうだ。意識は個々でもあるが、巨大な集合生命体のやうでもある。その大きさはきっと宇宙全体を充填するほどのエーテル的質量を持って浮遊してゐるのだらうが、反物質暗黒物質の分布領域まで敷衍可能かてうことはよくわからない。
極大は極小と類似し、ウロボロス的な無限循環運動をしつつも二重螺旋形態で上昇するものだ。澱んだ河の流れに浮遊する泡沫の表面の片隅にも別の巨大な宇宙が存在するのだらうし蓋天説を実感させる広大な天蓋とて小指の爪の先に付いた埃よりも小さい可能性さへ有るのだから、物事の大きさなんてうものは極めて曖昧なものなのだ。
実感として、肉体が滅びても意識はどこかに収斂されて亜空間を流浪してゐるやうに感じられるのだが、この意識そのものが宇宙の主要な構成因子だとすれば、宇宙の崩壊とともに意識も滅びてしまうのだらうね。でもひょっとしたら、個々の生命体の発する意識のひもが複雑に絡まり合ふことによって愛が生まれ憎しみを呼び、ひも同士の摩擦と蠕動の共鳴に因ってカミが発生し、心中に夢や希望も生じ、生命力の根源となって行くのではないだらうか。
崩壊がこの世界の摂理なら、既に過去に何十億回もの再生も経験されてゐるわけで、ひょっとするとそんな時限を乗り越ゑて生き延びた意識も何処かに再生を果たしてゐるのかもしれない。各生命に課された時限は、再生して可能な限り生き延びる為の遺伝子達の戦略的作戦の結果生じたものだらうが、同様に意識も自己複製されて生き続けてゐるのかといへば、さうではないやうな気がする。
やはり何処かに収斂先が有って、その粘性の高い混沌の海から不規則無作為にひも状に突出して現世にまで到達したいくつかが、その時点で受精を果たして細胞分裂の開始された肉体に付着し、細胞膜から徐々に吸収されてミトコンドリアと一体化するのだらう。
ひもの素材にもいろいろあって、一旦絡まると二度と解けぬもの揺すってゐるだけでしゅるしゅると解けてしまうもの、表面摩擦で熱を発して変形してしまうものや空気に触れて酸化して硬化してしまうものなどなど、いろいろだ。
でもここで「いろいろ」説を持ち出せば、コイズミ君の開き直りに軍配を上げてしまう事になるのでぐっと我慢して、「多種多様だ」とでも換言しておかう。
とまれ、意識とひもの問題はこれからの最重要課題となって行く事だらう。
   

エレガントな宇宙―超ひも理論がすべてを解明する

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