風流人生

この砂紋を見よ!

砂は風に運ばれ、水にも流され、どこまでも行く。
砂粒を数へることは不可能だらうが、この地上で育まれた人生の数の倍以上有ることは確かだらう。
かつて倫敦で考へてゐたことを思ひ出した。「さてこの倫敦には、いったい幾つの煉瓦が存在してゐるのだらうかしらむ」などと・・・
夜空の星の数に思ひを馳せたのはカイラーサでのこと。書庫の蔵書数を想像してみたのは伯林でのこと。大カマスを覗き込んで投げ入れられた銭を数ゑてみたのは内宮でのこと。
意味の無い「無数」に魂を奪はれることが幼少よりしばしばあって、薄々自覚はしてゐたのだが、現在の偏執狂的気質と無関係ではあるまい。現実感の無さやとりとめの無さ、感情反応の淡白さや生活感の無さなども、現実逃避の果てに身につけた術だらう。自己防衛反応の一種とも考へられる。
ただ、受動的消極的に大勢に流されてゐるふりをし乍ら、極力煩瑣な事象に関らない。
逃避も、貫徹できれば哲学になる。