諏訪巡礼

群れ居るものどもよ

田中基氏の導きを得、中島氏とともに諏訪の地へ。
諏訪社氏子でもある在野の歴史研究者、原直正氏が運転を買ってくださり、理想的な環境での聖地巡礼開始。
諏訪大社の御正体(本質)が如何に縄文的であるか、諏訪の地が如何に聖なる諸要素を孕んだ土地であるかなどを、実際に現地を巡りつつ検証する。全ては父母一対、八ヶ岳:富士山と諏訪湖の三極のまぐはいに因って地上に生じたものどもではあるが、カイラーサ&マナサロワールと違うのはヨーニである湖は善悪の対を為さないこと。しかし大社は各々が入れ子式二重構造の対を為し、その不備を補ってゐる。また三尊仏(リクスム・ゴンポ)の形態又は両頂の谷間に本体を配置する視点が加味されて、出雲、熊野に比肩し得る空間配置。
更には、通天柱である御柱を以て天と交感しつつも境内を結界するてう周到さや、一回りと更生、循環を象徴する十三社の配置などなど、一分の隙も無き地理風水の活用には驚くばかり。
圧巻は聖なる水窪、まさにホト走り滾々と無限に湧き出す清浄な水源地。まさに縄文の気配濃厚な地形であり、既に縄文人に因って生命の根源の湧水点、即ち龍穴として祀られた気配有り。中沢新一氏もこの状況を目の当たりにすれば、田中氏らの直観分析に納得せざるをえまいとの感想を抱く。
いみじくも此の地はフォッサマグナ中央構造線の邂逅点でもあり、西方に南下した中央構造線上の一極点に棲息したりける自分にとっては正に直に地面の底から啓示を受けたやうな贅沢きわまりない案配にて、カイラーサはドルマ・ラにて彼岸に投じた意識の塊を諏訪にて「地中から」天啓として受け取ったやうな気分。
先に受け取ってゐた『縄文のメドゥーサ』を著者の案内で実際に踏査するてう無類の幸運に恵まれたことに感謝しつつも、再読の理解を一層促進する手掛かりを与へられたと同時に、更なる深層の入り口に立ってしまったやうな諦観に似た頓悟感も有ったことは事実。
黄昏時の茅野駅で田中氏、原氏と分かれ、中島氏は東南へ、そして我は中央構造線沿ひに南西へ。
北へ南へ、そして西へ東へ・・・

縄文のメドゥーサ―土器図像と神話文脈

縄文のメドゥーサ―土器図像と神話文脈

今宵、満月。