御挨拶

吹き溜まりたりける

偉人の工作活動は今天も終はらない。
何となくいつもの時間帯の表通りが静かなのは、仮正月の近いせいか。工作所への道すがら、コビトが集団登校する風景を見なくなって既に何日も経ってゐるが、早朝から如何にも今天やっとこさ大掃除を始めましたてう風情の家が何件も有ったり、まだ路傍の凍結の溶けないうちに盛大に散水する婦人がゐたりと、何かしら年末風情の断片は意識してゐれば其処此処に見受けられるものだ。
工作現場の周辺は小規模町工場の集合する殺風景な工業地区だが、さすがに下請け風情でも今朝は既に注連縄など飾って休暇に入ってゐるところもあれば、気忙しく大勢の人が動き回ってゐる工場もある。いくら不景気な町工場とは雖も、さすがに今天あたりから正月三が日くらい迄はは休みになるところが殆どだらうが、偉人の工作隊(一部)は休んでゐられない理由が有るのだ。
結局屋外での工作活動は半日ほどで何とか終了したものの、今度は工作所内部での秘密活動が仰山残っており、いくら仮正月と我輩が声を大にして叫ばうとも、世間様の大半(その割合は電脳OS窓式VS林檎式の比率に似たり)は休日モードに突入してゐる以上、大掃除もせねばならんしそれらしき飾り付けもせねばならん。何度も超級市場だの100円ショップだの弁当屋だの何だのと出掛けては戻り、戻っては出掛け、電脳工作も含めれば忽ち夜に至れり尽くせり。斯くの如き状況下、数人の朋友からは外出外遊外食のお誘ひ。されど偉人の春節はあくまでも1/29なのだよ。
(-_-;)古い人間なもので・・・
違和感有る挨拶について:「それでは良いお歳を…」などてう表現をあちこちで聞く時節だが、世間様は何ら違和感無く使ってゐる様子。我輩はご幼少の砌より、この年末の挨拶に非常な違和感を感じ続けてゐるのだ。年末年始の休みなど、多い人でも10日ほどだらう。同じ公司や職場で働く人同士なら、少なくとも行く年来る年を挟んで1週間後には再会するワケだ。そんな同僚に対し、「良いお歳を…」とはどんな意味が有るのだらう。そもそもその歳が「良いお歳」であったかなかったかなどてうことは、年末も押し迫った頃にしみじみと振り返って初めてワカルことではあるまいか? さすれば、「良いお歳を…」などと声を掛ける相手は、少なくとも向かう半年以上は再会せぬやうな関係でなくてはないだらうか。因って、1週間や数日後に再会することが解ってゐる相手には、「良いお正月を…」などと言ふのが宜しい。のではないか?
(-_-)どやさ?

「世間」とは何か (講談社現代新書)

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