街道散策

屋根にも神様のおはしまする

そりゃー”アップルのiMac G5欲しい!”のは当たり前のことさね。でも予算の関係も有るし、デバイス即ち周辺機器や各種接続環境の諸条件も有るけどね、早く現在の、古代iMacG3ブラウン管的電磁波世界から脱皮して、液晶世界に馴染みたいてうことは確かなこと。
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今天は曇りがちな休日で、外気に冷たさは感じられず、てきとーに洗濯物干してからはいざ自転車で出掛けませうと思ひきや後輪がパンク。その御陰様で、先週果たせなかった近辺の街道沿ひの商店街散策に赴く。成程、そこは電車駅からは1本外れた通りなれど、いにしへの街道の風情をそこはかとなく残す。街道より派生する路地のあちこちに、裏寂れた仕舞た屋や秋草に覆はれた蔵が見へ隠れしたり、日曜故か殆どの商店が休みの狭間、乳母車を押した老婆が座り込んで世間話をしてゐるその奥は、これまた寂れた銭湯だったりして、ゆっくり歩めばそれなりに見所や発見も多いのだった。うだつこそ見かけなかったものの、久々に屋根神様の祠を見付けて一人でニヤリ。結局その街道沿ひで自転車屋も発見したものの、休みでパンク修理は諦め、そのまま散策を続ける。
街道は直線に非ず、実に微妙に曲がり戻りつ何キロも続き、途中には橋も有る。川縁に出ればもはや街道風情は払拭されて、どことなく余所余所しく直線的な護岸が続く。しかし、橋を渡って街道に戻れば、脇には須佐男神社だのちんまりした寺だの、集会所や格子戸残した町屋だのが散在するのだった。結局、都合2時間近くも浮遊するうちにデジカメで撮影した画像は30枚近くに達したのだが、首からカメラぶら下げてしきりに路地の奥覗ひたり、周囲をきょろきょろしたりする姿はさぞかし挙動不審者そのものであったことだらふね。
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今宵の芸術劇場、メインはライプチッヒ・バッハ音楽祭2005から、バッハ縁の聖トーマス教会における「ミサ曲ロ短調」 勿論、ライプチッヒ・ゲバントハウス管弦楽団や室内合唱団の演奏は素晴らしいものだったが、指揮のブロムシュテットが余りにも生真面目優等生かつ律儀な耶蘇信者過ぎて、いはば「耶蘇臭過ぎ」てちょっと辟易したのだった。一方、個人的にはリストの「ロ短調ソナタ」やラヴェルの「夜のガスパール」以来となるイーヴォ・ポゴレリチ、どことなく厭世的で虚ろな目つきの風貌から一転して印度人とも中国人ともつかぬ金色衣装にスキンヘッドに変貌してゐて、大いに驚く。妻を亡くして悟りの境地に至る?


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