黒胡麻と黒水城の没関係について

或る意味、衝撃的画像

長坂養蜂場*1が作ってゐる「大地のはちみつ・黒ごまハニーペースト」をいただいたので、早速食べてみた。
瓶の蓋を開けてみると、黒々艶々としたペーストがたっぷりと沈殿しており、香ばしい香りはさておき、卓上に墨汁を置いたやうな光景となる。次に、こんがり焼いたトーストを用意し、バターナイフでペーストを掬ひ取って塗ってみる。これまた相当インパクトのある光景が出現するので、高級ホテルのロビーなんか*2に瓶ごと持ち込んで、できるだけ目立つところでべったり塗って食べてみたい衝動に駆られる。ペーストを直接口いっぱいに含み、もごもごしたあとでニヤッと笑って、お歯黒状態を客や服務員に見せてやるのもいいな。
(-_-)何のためさ?
昨夜録画しておいた「新絲綢之路」(8) ”カラホト 砂に消へた西夏”を見る。
寧夏回族自治区首府である銀川市郊外の、西夏王陵墓群を訪ねたのは今は昔。砂漠(沙漠)に秋風吹き始めた10月初めの頃だったか。内蒙古呼和浩特・包頭方面から火車(硬座)にて十時間以上、臨河を経て、お尻が壊死して巨大な蒙古斑が出現し始める頃、銀川に着いたのだった。嘗ての西夏は此処から西、内蒙古阿拉善盟、甘粛河西回廊地域を含んで広がってゐたのだが、カラホト*3黒水城のある額済納(エチナ)旗に行きたしと思へども、カラホトは余りにも遠かりし。銀川から巴丹吉林沙漠を越ゑて行く道も出来てゐるのだらうが、甘粛酒泉市金塔辺りから黒河沿ひに北上する方が早い? 
行くや行かぬはさておき、西夏文字の魅力的なこと。煩瑣複雑怪奇にして、漢字の如き象形に由来せず、それで居て格調高く呪力も持つ。北京郊外の居庸関過街塔*4に刻まれたものも見た覚へがあるが、その刻文は1345年のものてうことだから、西夏国滅亡後も使用されてゐたのだね。
西夏多民族国家(1032-1227)。タングート羌族が中心になって、白蘭族、多弥族などを統一したものだ。始祖は拓抜思恭と伝へられてゐるが、1032年に建国者李元昊*5は初代皇帝を名乗り、自分の先祖は魏帝であることを誇示してゐたりする。領域は先述の如く、中国式の表記に従へば、夏・銀・綏・宥・静・霊・塩・興・甘・瓜・沙・粛州などに亘る。沙州・瓜州と呼ばれてゐた敦煌も、領地内に在ったのだ。
西夏文字の解明はまだ完全では無いやうだが、日本人研究者も何人もが解明に取り組み、西田龍雄氏を筆頭に、大きな成果を上げてゐる。兎に角、興味深い民族であり、文字であり、文化であり、興亡であるな。
(-_-)しみじみ
今天も終日、降ったり止んだり。


西夏王国の言語と文化

西夏王国の言語と文化

西夏文字―その解読のプロセス (精選復刻紀伊国屋新書)
西夏文字の話―シルクロードの謎

中国的有人衛星「神舟」帰還祝賀を侮蔑する靖国参拝だって? 何の関係が有るの?? 没関係じゃないの???
図に乗って韓国までも、「ウリナラの忠告を聞かずに参拝が行われて残念」だって? あんた何様??

*1:静岡県引佐郡三ヶ日町に所在する

*2:香港の半島酒店(ペニンシュラホテル)など恰好の舞台!

*3:カラは黒を意味するが、ウラル・アルタイル的な響きだ。日本語のクロも同根であり、大黒天ことマハーカーラのカーラも同じ

*4:元朝支配下にあった民族の文字、即ちランチャ・チベット・パクパ・ウイグル・漢字と西夏文字で、造塔の縁起と仏頂尊勝陀羅尼・如来心陀羅尼が刻まれてゐた

*5:鮮卑族拓抜部の出身