中秋節

月を待つ哉

昼間、この時期にしてはまだまだ真夏に近い陽光と暑さを感じるものの、さすがに夕方近くともなれば庭の秋草が涼風に靡き、西日の赤さにも秋を実感せり。
夜になって、遠雷の如く何か大きな音がしきりに響き亘る。さうか、隣町の秋祭りの花火の音だ。昨年は客人と共に会場を見下ろす山に登り、巨大な花火を見下ろしたものだ。今年は30キロ近く離れた陋屋で、想像の花火で遊ぶ。
今宵は中秋、極東万人の日記にてこれほど月の語られることは今夜を置いて他には無からうが、残念乍ら手元に月餅は無い。月餅は無くても満月は地上を照らすわけで、疑ふらくは是れ地上の霜かと。
恒例の教育テレビ鑑賞会、一部は「新絲綢之路」と重複してしまったが、6月にFM放送で聴いた譚盾(タン・ドゥン)の傑作「ザ・マップ:チェロとビデオとオーケストラのための協奏曲」の演奏風景を見ることができた。成程、音だけで聴いてゐた時にはビデオとの絡み方がよく解らなかったが、このやうにして協奏されてゐたのだね。まう1曲、第2楽章だけだったが「紙楽器のための協奏曲」も面白い曲だった。結局譚盾氏の作風は、現代作曲家にしては極めて古典的要素と伝統音楽素材の多い作風であることを実感した。
続く芸術劇場、オルフェウス室内管弦楽団プロコフィエフの「古典交響曲」から。指揮者の居ない独特の小規模オーケストラだが、瑞々しい響きのプロコは期待以上の出来。続くベートーベンのヴァイオリン協奏曲はソリストに若きジョシュア・ベルを迎へての共演。カデンツァが少しくどい感じだったが、生き生きした演奏を楽しむことが出来た。
最後はウラディーミル・フェルツマンのピアノリサイタル。秋の夜長にショパンのバラードが軽やかに響く。先日のルイサダとは全く違った表現方法の演奏者で、第1番の演奏終了直後、気の早い観客数人の拍手を片手で遮り、静寂の中で第2番の演奏を開始。なかなか見事な采配?
音楽番組を見終はり、テレビを切ると、そこには怪しげな青白い月光世界から、コオロギやスズムシなどの無数の虫の声。

MOON-月亮心-

MOON-月亮心-

勿忘九一八、柳条湖事件74周年、我的家在東北松花江上・・・