革命的?

野ブドウ、色付く

猫も杓子も改革改革・・・
(-_-)辟易
実際には猫も杓子も改革はせぬが、そんなに改革せねばならんてうことは、現状は常に「否定すべきもの」てうことなのだらうか? そんな「改革せねばならない現状」を造り出し構成してゐるのは当の本人達なのだから、厄介で胡散臭いな。となるとだ、改革改革とわめく前に、改革せねばならん現状の構成因子である自分の責任を明確にすべきだな。ふむ、となるとだ、改革改革とわめく政治家は全員辞任せねばならんことになってしまうので、それでは話が振り出しに戻ってしまうワケだ。
(-_-)困ったことだ
この流れで思ひ出すのが、中国だ。現代中国では常日頃が現在進行形の革命状態らしく、過度の民主化運動などは「反革命的」なるものとして、厳しく鎮圧されるのが普通だ。即ち、日常として蕩々脈々と流れる革命の奔流を遮るもの=反革命的てう仕組みだ。表現的にはややこしいが、分かり易い論理ではある。
となると、だ、我が邦でもこれほど改革改革と、マントラの如く改革が持て囃されるてうことはだ、現在はひょっとして既に革命の進行状態なのだらうか? 広く巷間に横溢する閉塞感や緊張感の無さなどから、とても革命状態であるとは思はれないな。だから、改革改革が必要なのかな? いずれにせよ何かウソっぽいものが感じられるな。兎にも角にも、干支やあらゆる事象が還元されて、明天は確実に何かの節目として記録される日になるのだね。内容はさておき・・・
(-_-)
秋祭りのれんしう? コドモもおとなも組に分かれ、広場で奇妙な踊りを踊ってゐる。両者の共通点は・・・「けだるさ」だった。

革命&1812

深夜の教育テレビ、再放送で「ジャン・マルク・ルイサダの超級ピアノレッスン」を見ております。楽譜など開き乍ら。課題曲はショパンの華麗で絢爛なワルツ。生徒は巴里在住的日本人男性。フランス人独特の、ねちっこい教授法で、感情豊かなショパンを大いに説く。さすがに職人芸、感情表現を如何にして鍵盤の中に込めて行くのかてうことを、分かり易い例へで大袈裟に説く。フランス人にとっては何ら誇張も無いことだらうね。スケルツォのレッスンが楽しみだ。