ゲノム逍遙

群青は宇宙の色

ひとびとのさまざまな思惑が入り乱れ、文物は翻弄されて行く・・・
「人心の掌握」か。望んで出来ることでも無いしな。現状に甘んじるつもりは毛頭無いのだけどね、さりとて望んで不毛の大地に足を踏み入れる気力は、今更無いしね。無気力てうワケぢゃ〜ないことは、普段の言動からわかるでしょ? でもさ、能動的に動く価値の有る事象と、全く関わる価値の無い事象が存在することも確かだよね。その判断は、自分の今までの経験から推し量ったり、先達からの助言を参考にしたり、反応如何で、早い話が自分が試されてるワケだらうけどね。でも、そんな自分を試してゐるのは、いったい誰?
(-_-)あんた誰?
例へばだ、ヒトゲノムの配列を分析してもその人の性格が解るワケではないし、クレペリンテストで才能の片鱗を導き出せるワケでもない。ましてや小中学校の成績を見ても、高校の内申書を見ても、その人物の思想的背景を分析出来るワケでもあるまい。殺人を犯した犯人の隣人がしばしば、「特に変はった感じの人では無かった」だの「ちゃんと挨拶する真面目な人でした」だのと証言することなど、ごくありふれたことだ。例へ遺伝的背景が潜んでゐたとしても、世代を遡って追求することにどれほどの意味が有るのか? 有るのか無いのか??
(-_-)有無?有没有?
確かに、「袖触れ合ふのも何かの縁」とは極めて量子論的言ひだね。この考へを拡大して行けば、「袖触れ合はぬも何かの縁」てうことになるさね。宇宙規模で恣意的に考へれば、こんな会話も風流なのかも知れないけどね、ところが目の前の現実はだうだい? カリスマは存在すれども常に山の彼方の存在にしか過ぎず、さりとて自分にその気配は無く、人々は怠惰で貪欲で、品格無き存在にすら見へるものさ。
(-_-)為什麼?
意味? 意味などもとより無いさ。意味を求めることは愚か者のすることさ。世界の全ては意味無く秩序無く、「混沌」てう「秩序」で無限に動き行くものさ。意味を求めた瞬間に、さまざまな思惑や苦しみが生まれ、NO WAY OUT の輪廻に捕らわれてしまうのさ。言ふならば是ぞ無間地獄さね。輪廻だの無間だの、別に線香臭いコトバ並べたくは無いんだけどね、仏教方面には実に便利で便宜なコトバ、それも考へ尽くされてそれ以外のどんな表現も発見し得ない言ひがほぼ全て、周到に用意されてゐるのだね。流石、東方宗教の雄さね。
(-_-)そーゆーものだぁね。。。
極めて個人的な記念日の宵に於ける、極めて個人的かつ自閉的かつ厭世的な独白とぼやきにて候。
(-_-)なにか?

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今天7月14日、太閤忌。