違和感人生

違和感ありませんか?

偉人として、行く先々で様々な違和感と遭遇する運命にある。月に何度か訪れる巨大超級市場的立体駐車場における案内表示は、違和感の大将であるとも、将軍様であるとも言へやう。
そこには赤々と大きな字で、「お客様店内入口」とある。この表示の意味する処は、何か? この表示の意図は? 意味は?
先づ、「お客様」は宜しい。買い物に訪れた不特定多数の客に対する尊敬が込められてゐるやうでも、さうでないやうにも思はるる。問題の本質はその次だ。「店内入口」とは如何なる意味か? 進入して駐車した空間をも店舗内と見なせば、そんな「店内に設けられた入口」てう意味として理解できないこともない。しかしだ、「店内の入口」とは頗る奇怪な表現だ。そこはすでに店内と見なしたはずだから、改めて入口とはこれ如何に。それではその前提を撤回し、「駐車場はまんだ店内ではない」と仮定してみやう。さすればその入口は、「店舗」部分への入口なのであって、「店内入口」ではないはずだ。
そもそも、「店内入口」とは、店内「の」入口なのか店内「への」入口なのか、店内「が」入口なのか店内「も」入口なのか、店内「は」入口なのか店内「なれど」入口なのか、店内「らしき」入口なのか店内「としての」入口なのかどうなのか何なのか、よくわからないではないか。待てよ、ひょっとして文節の区切りは「お客様店内」の「入口」なのかもしれんぞ。はたまた「お客様店」の為の「内入口」なのかもしれんだらう。兎に角、この表示は日本語のやうでゐて日本語の呈を為していないことは、間違い無からう。
いろいろアングルを変へてこの表示の写真を撮ってゐるうちに「蛍の光」が流れ、閉店になってしまい、お買い物できずに帰途に就く偉人であった。
今天は丸一日かかって、朝の湿気を十分含んだ生暖かい空気が、冷たい冷たい乾いた木枯らしに入れ替はりたりけるに、春と冬の激しき鬩ぎ合ひは、寒冷前線の横殴りの風雨と共に行きつ戻りつ。

違和感受装置―クロニクル1996-2003

違和感受装置―クロニクル1996-2003