逃避本能

出来たてのピカピカ

非常に対する備への不備なることは、日常の事あるごとに思ひ知らされる。そんなに思ひ知らされるなら、日頃からちゃんと備へておけばよいではないかと思ふのだが、さうなると日常の全てが非日常の為に費やされてしまひ、日常が非日常になってしまふので無理なことだ。
先日のパンクでも、いざ使わうと取り出せばタイヤ取り外しのための六角レンチが潰れてゐて使ひ物にならなくなってゐることに気付く始末だ。前にバイクの整備でレンチをこじてしまった時に、「こりゃーまうダメだな」、などと思ったのだけれど、その時すぐに新調しておかなかったツケが今回に回ってきてゐるワケだ。
去年の地震の時もさうだ。昨今これほど大地震に備へよと方々で皆が口うるさく言ってゐるにも拘はらず、有効な対策は殆ど取られてゐないのが現状だ。さすがに偉人の住まひは古く頗る傾きたりけるので、地震襲来以前に日常のさりげない活動でも崩壊しつつある現状に鑑み、飲料水の確保と冬季用の衣料袋、水平の存在しない棚類の固定(そもそも連結した柱の強度が問題だが)や電脳的電子情報の日常的バックアップは心がけるやうになったが、ほんの気休めに過ぎないことは確かだらう。
そもそも当地は太平洋岸に在り、標高6m前後の低地なれば、過日南方で発生せし大津波と同規模のものが押し寄せれば、室内の備へどころか覇拿里荘そのものが土台ごと押し流されるは必定であり、周囲の全ては水泡灰燼瓦礫に帰することであらう。去年の地震や先日の津波は、極めて貴重な価値を持ったシミュレーションであったと考へるべきであらう。
家は人を守ると同時に、人を殺すものにもなる。
さて、それでは我輩は何処に逃げやうか・・・
(-_-)
なかなか晴れやらぬ日曜午後のBGM。夕方やうやう青空戻る。
ザ・ケルン・コンサート マイ・ソング