物理的限界

召し上がれ!

本は無限に増殖し、部屋の畳の水平を脅かす。本棚は垂直整理だが、そこに入りきらない本は畳の上に水平に置かれ、堆積して行くのだ。その状況は恰も、偉人の寝床を取り囲む壁の如き有様であり、「偉人の為の偉人に因る偉大な書壁」と勝手に呼ばれてゐる。特定の分野範疇のものが多いので横置きになってもさほど不自由はなかりせど、薄い本は背表紙の文字も小さいワケで、頭を「てじなーにゃ」みたく曲げて書籍壁表面を眺め、目的の本を探さなければならないワケだ。(-_-)現在の中途半端な電子化・電脳数字処理状況下では紙媒体への決別は絶望的だ。紙には変態嗜好を付着させるほどの魅力があって、感触や視覚、はたまた臭覚にまで訴へる力が有る。先年発売された液晶式の書籍?ほど、馬鹿げたものは無いと思ふ。本の頁をめくるが如くに操作出来、紙の如く目に優しいとのこと。それがだうした、と言ひたいな。矢張り、本は紙の集合体であるべきだ。
CDは無限に増殖し、ラックをはみ出して棚の上に水平堆積して行く。こっちは本と違って背表紙?が横文字表記のものが多いので、探し出すことに不自由は無いものの、悲しひ哉この三次元空間には物理的限界が有る。一度は空間節約のためにMDへのシフトを計画してみたこともあったが、我輩はそもそもレコード盤(LP)世代に属する産物であり遺物でもあるので、更なる次世代媒体への切り替へに関しては果敢を欠くワケだ。電脳でさへ青息吐息で使ってゐる(実際は遊ばれてゐる)現状に鑑みて、特赦願ひたいワケだ。当然のこと、CDは恰もカッパドキアのキノコ岩の如く、ナラボー平原に林立する蟻塚の如く、中国雲南の石林の如く微妙に曲がる塔となって書壁の脇に蝟集屹立してゐるワケだ。
てうワケで、今天も又、新たなる書籍が2冊増へ、「偉大な書壁」の強化に貢献するのであった。なほこの書壁は、耐震構造にはなっておりませぬ。アシカラズ、、、
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