イルミナシオン

コレハ超巨大電飾

近現代的には師走と雖も、その実はまんだ神無月二十日にて候へば、皆様に措かれましても何卒お間違ひ無きやう御進言申し上げ候義、ご承知置き下さいませませ。m(_ _)m
つひでに諸原稿の締め切りも旧暦換算にて、何卒御寛容御配慮下さいますやう重ね重ね奉り候?!<(_ _)>
この頃は家庭の内外、身の回りのあれこれが分野領域を越ゑて軽薄になりきつてしまつたが、その元凶の片翼を担つてゐるのが所謂ホームセンターの存在だ。かつては町の金物屋が担つてゐた領域を完全に凌駕し、今や気が付けば身の回りの道具や小物や家の外装、屋根や自動車用品や庭の草花に至るまで、その範疇を拡大してしまつたのだ。そしてこのところ無秩序に増殖を続けてゐるのが、電飾即ちイルミネーションの類だ。基本的には耶蘇の聖誕祭的祝祭的主題を装ひつつも、すでにそこに秩序は欠落し、思はず眉をひそめるやうな状況を誇示するものも多い。
時々通る国道沿ひに、最悪の電飾を競つてゐる2軒の現代住宅が有る。外周生け垣には全面に点滅する無数の星が瞬き、欅と思はれる象徴樹は雪を模した綿や聖誕老人、トナカイなどの吊るし人形がこれでもかてうほど仰山過多吊り下げられ、七色のライトが異常な高速で点滅してゐる。対抗意識によるものかは知らねども、隣家では花壇にトナカイやウサギ、聖誕老人やソリを象った太い針金で出来た電飾オブジェが異様な高密度で配置され、一部の動物は動く仕掛けになってゐるやうだ。門扉の上部にはMerry X'masなどと文字オブジェも飾られて七色に輝いてゐたが、おそらくこの家族は耶蘇教に帰依していないに違ひ無い。
とにかく派手でも品が無くても、他人の家の事だからどうでもよいことなのだが、「だう? 綺麗でしょ! 見て!我が家の電飾、見て見て!!」てう声が聞こへて来さふな不遜さがたまらなくイヤだ。
同じ電飾でも、道路からちょこっと離れた家の窓辺に小さなツリーがさりげなく置かれ、寧ろささやかに寂しげに光る様子は愛すべきものである。また、電飾さへ無ければそこに家屋の有ることさへ人知れないやうな暗闇に、ホームセンター仕立ての中途半端な長さの電飾紐が庭の樹木に絡められて木枯らしに靡き揺れる様子は、一際物寂しさと人恋しさを掻き立てる風景である。
冬の風情は木枯らしばかりに非ずんば、窓辺の灯火に何をや感じ、何をや云はむ。そして、何処へと行かむ。