色々

煌びやか哉!

民族独自の「色彩」てうものが有ることは確かだが、日本人のそれは何だらう? 先日行はれたカンボジア王国シハモニ新国王即位式の映像を見ていて、余りの色彩の豊かさに改めて驚いた。新しひ王様の誕生は王国最高の出来事であり、可能な限り荘厳されて祝福されるべき慶事なのだ。
中国宮廷の禁色が黄色だったりすることは、黄金に対する憧憬の表象かと言へばさふではなく、五行説に由来する配色なのだ。白虎青龍朱雀玄武は、各々白秋青春朱夏玄冬に相当するのだけれど、中央大地を現す黄色に割り当てられた季節は無いのだな。その背景には黄土高原中原の大地てう具体的な要因が関わっていさふだが、そのことにつひて述べ始めると2週間分の空間を要するから、ここでは言及せない。
何年前のことだったか、東大寺毘廬遮那佛の落慶供養を再現した大祭典があったが、その様子もまた、極彩色に溢れ、夢のやうに極楽のやうに美しひものであった。日本人は一般的に仏像などは古びるに任せ、「時代が付く」と称して古色を帯びることを好み尊ぶ気質が有るやうだ。中国などは金箔や彩色が古ぼけることは即ち、佛の威光や功徳、はたまた信者達の信仰心の衰へと解釈されてゐるやうで、常に目映く光り輝いて御座るものが殆どである。
エジプトなどの例を引くまでもなく、古代とは我々の想像以上に煌びやかで色彩に溢れてゐたことは確かである。冠位十二階などは中華式制度の真似びであるが、階級によって衣の色が決められて居た頃の朝廷の様子は、さぞかし華やかであったことだらう。十二単だってさふだ。艶やかで華やかで、色自身が濃厚に意味を発散してゐる情景は、官能的でさへある。かういふふうに考へれば、現在は寧ろ色彩に乏しい時代だと云へるのかもしれない。
ところで、赤の腰巻きの効能は有没有?