大敬白諸法度

カ〜ゴメ籠目♪魔除けだよ

世の中には「正字・正仮名遣ひ族」てう民族がまんだ生存してゐて、各地で細々と、しかし頑なに文語体的文章を書いてゐたり、旧漢字旧仮名文字を使用していにしへの継承に密かに寄与してゐるワケだ。さういふ民族は物書きの中にもまま居り、やはり独自の世界観を提起してゐる場合が多い。我輩もかつては極端な懐古主義的文言をしきりに唱へてゐたものだが、手書き世界ならいざ知らず、ワープロ、電脳文書世界と主要に相対する状況を余儀なくされるに至り、いつしか妥協的打算的怠惰主義に陥り、日々の反省もていたらくに追ひつかず、だらだらふよふよと現在に至れり。往時の究極的目標は、正字・正仮名遣ひは言ふに及ばず、つひには口語をも文語化せしむることをば天空高らかに掲げるものでありしかば、世間様の様々な非難誹謗中傷窘めに遭遇する日々に耐へきれず、遂には悟りの境地と神仙郷に達し泰山に登りて長江を眺むるが如し。この先老ひ先逐電の後に往還路上を彷徨ひ、浮遊因子かはたまた偉大居士かと称されるまでになりにけるかも。さふかも・・・・さふでないかも・・・かもね・・・
正字の入力およびその表示を阻害する要素は色々有るのだが、電脳軟件的能力と他の要素の兼ね合ひや相性に関わる部分が大きく、人知の及ばざる領域に属する問題も孕んでゐるのだ。かと言って現況が終焉の姿や様式では無ひことは明らかであるものの、暫定的措置が永劫に継続されて標準に至るてう事例は宇宙に無数に存在するのであって、その無限塵埃の一粒百万馬力の一角獣の先端は尖沙咀の半島酒店前庭の噴水の如し。
早い話が所謂原理主義者の範疇を外れた18番外波久礼者、自発的故郷喪失者、中途半端な物部語り部、誇大妄想事大妄想偉大妄想懈怠妄想、常なる局外者かつ門外漢かつ外観傍観者の戯れ戯言蒙昧羅列にて、諸事諸々御非難御注意御免被りまして候へば、何卒御寛容憐憫の情緒に棹差し大ひに流されて、御読み流し下さひますやうに申し奉りまして候、恐惶謹言。
因みに読みにくひと大評判の本文でありますが、独自の進化(退化?)を遂げた結果、覇拿里式表記も自然発生致しました。その代表例が「てう」であり、「と言ふ」の略記法にて候へば、主人軽薄ならぬ敬白再拝にて、今宵は御無礼仕りにけるかも。さふかも・・・さふでないかも・・・
(^_^;)大汗