マーちゃんのこと

紡ぎ出された音たち

<マーちゃん>こと長澤真澄嬢に関する検索方面からのアクセスが余りにも多いため、ちょっと詳しく書いておかう。
彼女との遭遇のきっかけは、アースワーク作家である妹の長澤伸穂こと<ノンちゃん>との出合いがきっかけだ。ノンちゃんはベルリンの芸術大学の学生で、スイスで見た展覧会に出品されてゐた常滑の芸術家鯉江良二こと<りょーじい>の作品にインパクトを得、彼に会うためにシベリア鉄道でやって来たほどの強者だ。そんな<りょーじい>の家で<ノンちゃん>と知り合いになった我輩は、数年後果たした洋行に伴う欧州滞在中、<ノンちゃん>がベルリンで作品製作をしに帰ってくるてう一報を受け、潜伏してゐた巴里の屋根裏部屋を密かに抜け出して、長距離バスでベルリンに向かったのだった。勿論まだ分断壁が有る頃で、さまざまな事件に巻き込まれながらも1ヶ月近く滞在し、巴里に帰るんならお姉さまの<マーちゃん>がアムスに居るので寄っていきませんか、てう嬉しいお誘いを受けて、図々しく同伴。やうやうの遭遇と相成りにけるは、1988年の夏のこと。
当時<マーちゃん>は初めてのソロアルバムである「The Quiet Land of Erin」(長澤真澄/はるかなる国、エーリン 〜やすらぎの響を求めて〜)の曲目選定でかなりお悩みであったが、何よりも明るく活動的な人柄が印象的だった。繊細なハープの演奏家てう印象とは裏腹に、驚いたことにグランドハープなどは日常の運搬はご自身でなされており、アムステルダムの特徴である細長い構造の住宅事情から、通りに面した大窓から搬出して乗用車に積み込まれる様子は逞しさを感じる程であった。数日間の滞在中には、彼女の出身校のあるマーストリヒトにご同行したり、目の前で練習や演奏を見せていただいたりと、夢のやうな時間を過ごしたことを覚えてゐる。
その後我輩は巴里に戻り潜伏を続けたのだが、次にマーちゃんと再会したのは翌年、演奏会かレコーディングの関係で笙の演奏家である宮田まゆみ嬢と共に夜のカフェであった。たった数十分のことだったが、音楽の領域を越えた楽しひ会話が弾んだことを覚へてゐる。その次は我輩の帰国後、1994年に岐阜の密教寺院で行われた演奏会でのことだった。改めて何やら照れくさかったが、それまでに発表されてゐたアルバム「響宴」(1990)「天使の祭典」(1991)にサインをもらったりして、Me-chang & Her-chang をしてしまったワケだ。
以後は帰国情報を入手しつつも、我輩自身の逐電や移住が発生してしまったこともあり、お目にかかっていなかったのだが、彼女の奏でる音は月に何度か部屋に流してゐるのであった。特にお気に入りは「Chanson dans la nuit(夜のうた)」(1995)と「Au matin(朝に)」(1996)の2枚で、いずれも確かな技術に支えられた表情豊かで繊細な演奏で、空間に爽やかな気を充たしてくれるのだ。
今回話題になった、愛子様とハープを介した戯れは、もとは皇后さまがハープの演奏家であらせられることに端を発してゐるやうだ。いろいろ検索をかけてみると、現在来日されており、来週清里高原で行われるハープのつどいに参加されるやうだ。時間的に清里までのおでかけは無理なので、久々に連絡してみやうかしらむ・・・
夕方やうやう、雨止む。