怠惰な餅

ライオンの住処?

昨日今日と、ひたすらだらだらと過ごしてゐた。要するにお疲れであったワケで、その怠惰の功名で「タイタニック」を改めて見ることが出来てしまったてうワケだ。それにしてもただゴロゴロと、何するでなくふにゃふにゃと布団の中でもぞもぞとだらしなくしてゐることがこれほど楽なこととは。三年寝太郎やものぐさ太郎、船場太郎や桃太郎の気持ちが今更よくわかるのであったさ。
そんな怠惰なくねくねごろごろの間にも、昨日のキノコでふと思ひ出したのがドーナッツ屋のポン・デ・リングのことだ。ライオンのやうなそのキャラクターのかわゆらしさも去ることながら、初めて食べたその食感はもちもちっとしてゐて、大変美味しいものだった。今回は差し入れてうことで仰山いただいたので、山にして撮影してみたが、何やらキノコの不思議に迫る奇妙な風景で、年甲斐もなく一人で喜んでゐたのできっと不気味がられたことだらう。(いつものことだ)
ところでこのもちもち感に日本人は弱いらしく、今では食パンのほとんどが湯捏ねだの手捏ねだのやたらともちもち感をうたい文句にしてゐる。確かにもちっとした食感は何かそこはかとない安心感を与えてくれるワケだが、その筆頭は云ふまでもなく餅そのものだ。餅の語源はもちもちっとした擬態語が先なのかどうかは知らんが、東アジアの雲南あたりから日本列島にかけての地域では好んで餅米やモチ種の赤米が食べられてゐる。何やらコメ文化の根幹に関わることなのであらう。
この餅で思ひ出すのは、友人の奥様のことだ。彼女は生粋のイギリス人であって、ダンナを筆頭にした日本人や日本文化が大好きだったが、唯一の苦手が餅だったのだ。毎年毎年正月になると行く先々で餅を出され、いいかげん辟易としてゐたやうだが、それが原因でイギリスに帰ってしまった。ダンナを連れての移住なので離婚したワケではないと言ふものの、それほど嫌いであったことは確かなのだ。一度どうしてそんなに嫌いなのかてうことを訊いてみたことがあったが、とにかくあのstickyさ=ねばりけやひっつき具合がイヤでたまらなく、ガマンできないとのことだった。餅をそこまで目の敵にした人も他には知らぬが、彼女にしてみれば日本の何かねちっとした風土のやうなものや、閉鎖的な国民性の暗黒面が凝縮象徴されたものとして映ってゐたのかもしれないな。
これとは対照的に、コビトの毎朝の朝食が餅であるてう友人一家や、先のポン・デ・リングを朝食にしてゐるドーナッツ娘もゐるが、我輩もどちらかと云へば餅派に属するワケで、そうなると食パンも湯捏ねがよいし、ポン・デ・リングも好きなワケだ。聞けば抹茶味やらいろいろ種類が有るらしひが、それはそれで喜ばしきことではある。我輩は常にドーナッツをストックしてゐるワケではないので、今夜の夜食はナタデココに決めた。
なにか?(-_-)