カルミナ・ヘヴナーニャ

壺中天国?

「天国」てう大げさな名前の割に、その店のみてくれは極めて小さくて、余りにもみすぼらしくて、かわゆらしいものであった。
どうやらこの「天国」は、日が暮れてはじめて輝き煌めく種類の店らしい。夜にしかここを訪れない人にとっては、闇の中に浮かぶこの「天国」は、まさに夢の世界なのだらう。飲み屋?スナック?キャバレー?夜總會? 一夜の夢も、覚めてみればその正体は陽光に晒されて、現実が目に見える形で押し寄せるのだ。さまざまな「天国」があるのだらう、この世には。めくるめく本能的な快楽に満ちた「天国」もあれば、静謐と秩序に満ちた「天国」もあらう。宗教の教義に支へられ定義された「天国」もあれば、森羅の混沌を因子とする「天国」もある。「天国」は苦渋に満ちた現実からの逃避であり、叶わぬ夢の叶う非日常である。天国への階段が存在するのかどうかはわからないが、無意識のうちに日々上昇を続けてゐることもあるのだらう。突如眼前に開けた法悦や至福の境地が「天国」であればそこに到るに金銭は不要だが、「天国」てう名前の店に入場することはともかく、現実世界に戻る為にはいくばくかの金が要るやうである。
「天国」に到る為に、今宵偉人によって選定された音楽は、カール・オルフの「カルミナ・ブラーナ」である。小澤征爾指揮、ベルリンフィル・晋友会合唱団のものも良いが、今晩はズービン・メータ指揮、ロンドンフィルのものにしやう。
<世界の支配者、フォルトゥナ>=誰もが一度は耳にしたことのあるであらう冒頭曲
 おお、フォルトゥナ、運命を司る女神よ
 汝はかの月の面の変わるにも似て、
 欠けては満ち、満ちては欠ける。
 人の世の情なく、
 喜びも苦しみも、
 意のままにして、
 人の心を弄ぶ。
 貧困も権勢も、
 氷柱の如く消えゆく。
カルミナ・ブラーナ」;ベネディクト派ボイレン修道院の写本に基づき、ラテン語およびドイツ語による13世紀の歌と詩、J.A.シュメラー編:この写本はベネディクト・ボイレン修道院で発見され、その後ミュンヘンの王立中央図書館の所蔵となった。ボイレンの歌集を意味する「カルミナ・ブラーナ」の名を付したのは、編集を行い1847年に初めて刊行した図書館司書ヨハン・アンドレアス・シュメラーであった。この写本の存在が世界に知られるやうになった経緯も、数奇である。1803年或る男爵が教会財産の国有化をめぐる任務を帯びて修道院を訪れ、この写本を発見した。職務に忠実な男爵はこの古い写本の高い価値を直ちに理解し、帰路の旅の読み物にすると称して鞄に入れて持ち出した。(勝手に?)斯くしてこの貴重な中世の遺産はバイエルン王立図書館の収蔵品となり、編集出版され、1934年に到りオルフとの邂逅を得、電撃的な直観と霊感によって音楽化されたてうわけである。劇的で奇妙で神秘的な楽想が十二分に反映されたこの作品で、オルフは彼なりの「天国」を創出したのだ。古代の霊感を具現化したやうなこの作品は、果たして僕を「天国」に導いてくれるのだらうかしらむ?
Quo Vadis?