地蔵盆

これが目印

地蔵盆てう風習の存在することは、以前から知ってゐた。現在住んでゐる地方には無いものだが、中学生の頃夏休みになると京都の親戚宅に長期泊まり込んでゐて、大文字が終はり地蔵盆が終はる頃まで過ごしてゐた。京都の裏通りには辻辻に小さな地蔵堂があって、日頃から地域の住人がお世話お守りし、親しまれてゐる存在なのだ。地蔵盆になると小さなお堂は華やかに飾られ、いつにも増してお供え物が仰山積まれ、近くの路地か宿には子供たちが集まる場が設けられ、終日集まってはお菓子を食べたり飲み物を飲んだりして楽しく過ごすのだった。小さな提灯が居並び、幕が引かれた一角は子供たちの天国で無礼講、余所者の我輩をも暖かく迎へ入れてくださった懐の深さは称へられるべきことではあるが、ご幼少爾来の我輩の偉大性の為せるワザであるてうことも言へないこともないこともないやもしれぬ。(-_-)
どうも元来は7月24日におこなってゐたらしいが、近年では月遅れの8月におこなうところが多いらしい。毎月24日はお地蔵様の命日てうことになってゐるさふだが、お地蔵様にも命日が有るのだね。とまれ、地蔵盆は京の下町の路地裏の風情の原風景として、記憶の彼方に挿入されてゐる。
さういへば、風の盆てうのもあったな。今日は青空晴れてこのところにしては天も高く、空気も乾いて爽やか。虫の声も心なしか高く思ゆ。ちちよ、ちちよ、こおろ、こおろ・・・ 待てよ、よく聞けば鳴き声は部屋の中でも聞こへるではないか。風流と言へば聞こゑは良いが、やはり虫が部屋で湧いてゐるとすれば、考へものだ。(-_-)