盆地巡礼

別府の通天閣?

美しひ盆地は文化の揺籃であり、要害要衝ともなり、難攻不落の地勢を内包してゐる場合も多い。今回初めて訪れた安心院あじむ)の里ほど美しい盆地は、そうも多くはあるまい。盆地を取り巻く里山には磨崖仏が眠り、古代の謎を秘めた神社がいくつも取り囲み、水脈や点在する集落を繋ぐ道路と複雑に絡み合い、盆地全体に透明な網が被せられてゐるかの如き様相である。古代人の祀った高みに登れば、遠くにはなだらかな双頂を誇る由布岳が、脇に鶴見岳を従えて堂々と聳えてゐる。中でも特筆すべきは佐田京石と呼ばれる立石群であり、多少スケールは小さいものの屹立する様相はイングランドストーンヘンジか、アイルランドのスタンディングストーンそのものである。
この石の存在を初めて聞いたのは今から20年以上前、旅先で出会った当地出身の大学生からであったが、やうやう実物に触れることが出来たてうわけだ。当時は現在見るやうに整備されてゐたわけでもなく、圃場整備の際に発見された19本の巨石を山裾に並べたものであるてうことだが、半円形プランに並べられた一群はそのままの状態であるとのことだ。その大学生も言っていたことだが、美しい神南備型の容姿を持つ米神山山中には百本近い立石やドルメン、頂上には小さなストーンサークルが確認されてゐるらしく、解説版にもその位置が示されてゐた。残念ながら米神山への入山はできなかったが、安心院盆地の物言わぬ歴史の深淵を垣間見た心持ちであった。
その後葡萄の香り漂ふ盆地に後ろ髪引かれつつ、次なる盆地へ。「荒城の月」に歌われた岡城跡で有名な竹田は情緒有る静かな町。火車站背後の崖には寺院の伽藍が甍を連ね、侘び錆びて苔むした落ち着いた色調は南画や水墨画を見る思ひせり。周辺地域から町の中心に到るには必ず隧道を潜らねばならぬ地形は、岡城の難攻不落を物語るに十分。駅前の静かな佇まひを切り裂く中学生の声、手に募金箱を持ち黄色いTシャツを着た一群だけは余分だったな。
その後は山波を抜けて高原を走り、延々と山を下り峠を越ゑて、黄昏に沈む大分方面へ。途中凄まじき暴雨に遭遇し、一瞬にして道が川に。ワイパーも役立たぬほどで、今年の天候の尋常ならざることを如実に物語る。幸い小一時間で雷雨中心は通過せり。
辿り着いたここ別府湾の夜景は、香港とも神戸ともイズミールとも伊予三島とも違い、急激に弓なりに展開して天川の如し。大きなアーケード街で夕食を済ませ、湾岸道路を一路別府方面に向かう。濃厚な地理風水との接触を胸の奥にしまひ、世俗の極みの路地裏に身を横たゑて、夢枕の果てに船の汽笛を聞く。
夢の中へ・・・