稲の心

緑か青か?

毎年庭で稲を少し、バケツや植木鉢を利用して育ててゐるが、開花が始まった。最近は早生が主流のやうだし、今年の場合は十二分の日照と気温で稔りも早く、豊年満作のやうである。昨日はどこであったか、早くも稲刈りのニュースが流れてゐたが、それにしても豊穣の秋の風景から黄金色の稲穂が居並ぶ様は除外される日も近いかもしれない。
水田に囲まれて生活してゐる人は多いかもしれないが、その畦に赴いてしげしげと稲穂を眺めたことのある人は少ないだらう。出穂(「デポ」と読んだ人もおるが「しゅっすい」だ)から開花、そして稔りに到る変化の過程は感動的だ。去年までは苗代を作らずに直播きしてゐたが、どうしても発芽率や成長にムラがある。同時に播いても「緑米」「赤米」などは発芽時期が違ってゐたし、容姿もそれぞれ微妙な差があることもわかった。今年はなぜか直播きした赤米が発芽せず、残念ながらその美しい稔りの姿をみることはできないわけだが、近所の田んぼからくすねて来た苗は極めて盛大な様相である。品種はコシヒカリだらうけど、風に揺れ陽光に遊ぶ姿は実に美しい。亜熱帯か温帯域に生えていた雑草の一種であったこの植物遺伝子の辿ってきた道程に思ひを馳せれば、その大半は即ち古代人の足跡に重なり、殊更アジア人の歴史とは深い関わりがあるのだ。ひょっとすると、我々の遺伝子の中には稲のものが組み込まれてゐるのかもしれないな。その下層にはきっと、イモの遺伝子も存在してゐることだらうな。イモ以前は、一体何だらう?