ゴーヤーマンの憂鬱

もうじき食べ頃

いつの頃からか、ニガウリが「体に良い」てうことになったらしく、今ではほぼ年中超級市場などで見かける。我輩はあの手の苦みはちっとも苦ではないので、よく食べる野菜のうちに入るだらう。別にうちなー料理のゴーヤーチャンプルーを強く意識しているつもりはないが、かようなる異様な野菜を如何にして美味しく食すかてうことをいろいろな材料で試行錯誤してゐると、自ずからああいふものになってしまうから不思議だ。もちろんうちなんちゅの長年の経験と知恵が結実した料理だから、そこに辿り着くのは当然の結果と言へやう。
ゴーヤーことニガウリと我輩の遭遇は古く、小学校低学年の時まで遡る。かといって、既にその頃からコビトの分際でゴーヤーチャンプルーを食べてゐたわけではない。思ひ起こせば当時のニガウリは、近所のオババが毎夏しきりに栽培してはいたものの、その主な目的は西日よけであり、結果として結実するニガウリはその奇怪な形状から野菜としての認識も、それを食するてう習慣も無かったのだ。では如何なるものと認識されてゐたかと言へば、実は一種の果物として扱われていたのだ。口うるさいが心優しいオババが我が家にニガウリを届けてくれる頃には、ニガウリの色は僅かに緑色を残すばかりで、殆ど黄色く熟れてゐた。それを我々は手でそっと割り、中の白いワタにくるまれた真っ赤な実を食してゐたのであった。もちろん実の殆どが種であるので、食べられるところはその表面の粘膜のやうな赤い部分で、いくつか同時に口に含んで舐めて、ぺぺっと種を吐き出すという感じ。つまりその赤く熟した部分が甘いので、おやつがわりてうことなのだ。当時にしてみれば、あの奇怪な風貌の皮を、青いまま切り刻んで食すてう発想は身近にまったく無かったものと思はれる。今ではすっかりゴーヤー料理にも馴染んだわけであるが、そうなると昔味わったあの甘みを味わいたくなるのが人情てうものであり、早速ニガウリの熟成にとりかかった。熟成と言ってもまじないをするでも何でもなく、台所の片隅に放っておけばよろしい。今の時期なら数日を待たずに黄変することだらうから、全体がすっかり熟成した頃に中の赤い実を食べるのだ。
これに関連して思ひ出したのは、ハヤトウリのことだ。ご幼少の砌、近所に鹿児島出身の一家が住んで居て(さふだ、オババもこの一家にニガウリの種をもらっていたのだ!)、夏になるとアサガオやヘチマの如くハヤトウリを盛大に栽培していた。ハヤトウリは10cm強の薄緑色の瓜で、一旦出来はじめると無限に結実していたやうだ。風貌はやはりどことなく凹凸の多い蝋細工のやうで、これもあまり食用とは思はれない印象のものだった。一家はこれを大量に収穫して、糠漬けなどの漬け物にして食べてゐたやうで、毎年夏になると仰山頂戴してゐた記憶がある。ハヤトウリも熟せば中の実が食べられたのかもしれないが、これに関する記憶は無いし、今では見かけることすら無い。
実は今年は、庭の葡萄蔓に沿わせて密かにニガウリを栽培してゐたのであるが、暑さに後押しされて大変順調に生育し、花もいくつも咲いてゐたのだ。しかし、いつのまにか元気が無くなり、水をやっても萎れた感じになってしまった。おかしなことだとよく見ると、根元近くに大量のカメムシが取り憑き、ちうちうと養分を吸い取ってゐたのだ。気付いたときには時既に遅く、カメムシを駆逐してもあまり回復しなかったが、追い打ちをかけたのが与党虫ぢゃなくてヨトウムシだ。これらにすっかりやられてしまい、つひには枯れてしまったわけだが、本体の葡萄は連夜のコガネムシ駆逐の甲斐あって、いよいよ収穫の時期を迎へた。明日は収穫祭りの予定だ。