不自然な彫刻たち

何のカタチ?

大都会のビルの谷間にはしばしば奇妙なモノやヒト、又はオブジェや妖怪が潜んでいるものだ。先日は夜行バスの発車時間まで随分余裕があったので、山手線内側の、しかも皇居の東側界隈を2時間余り浮遊徘徊したのだが、その時にも奇妙なモノといくつも遭遇した。この画像は巨大なオブジェであり、解説プレートによると有名な彫刻家の作品であるらしい。灰色に沈んだオフィスビルの谷間に唐突に出現する異次元のやうな光景だが、当日はこの彫刻?の側にはフルートを吹いている若者と、見るからに真っ黒けのホームレスの男性が佇んでいた。日曜深夜のオフィス街という状況から、ストリートミュージシャンでは無さそうだが、ではどこからやって来てフルートを練習していたのだらうか? 私の記憶が正しければ曲はフォーレ夜想曲だったが、彫刻の足下に蹲るホームレスのために奏でられていたのかもしれないな。
この他にも、真っ暗な路上の植え込みに沿って5〜6人が並んで座り込んでいたり、Tシャツに短パンの外人が3人、缶ビール片手にくだを巻いていたり(当然このあたりに飲み屋やディスコなどは無い)、ピザ屋も見当たらないのに配達用のスクーターが何台も並んでたり、酔っぱらいに「タバコ無い?」と声かけられたりと、よく考えれば奇妙なことがいくつもあった。夜の都心には都心なりの法則や原理というのがあって、何ら違和感なく歯車が回っているに違いない。
今回見た超巨大なオブジェはビルの設計と同時に計画されたものであろうからさておき、以前名古屋かどこかの大通り路上に、やたらたくさん彫刻が置かれていたことを思い出した。わけのわからんステンレスの立方体だったり大理石の塊に穴が開いているだけのものだったり、不自然なポーズの裸婦などが数十メートルと置かずに配置されていたのだ。日中は自転車もよく通る歩道上なので大変邪魔になっていたが、どうやら当時の為政者はこういうモノを路上に配置すること自体が文化的な行為だと勘違いしていたらしい。その発想は欧州の古都にみられるやうな状況を再現したかったのかもしれないけど、そもそもイタリアの路上に男女を問わず裸体彫刻が無数に、しかもさりげなく置かれている状況は、歴史的背景があってのこと。マイヨールやヘンリー・ムーア、ジャコメッティやマンズーの彫刻もその延長線上にあるからこそ、街の風景に溶融しているというもの。そりゃー確かにミケランジェロダビデ像はカッコイイけど奇妙なポーズをしているし、ミロのビーナスロダン考えるヒトも不自然さは拭えない。でもその背景には深遠な神話や壮大な物語が秘められているワケで、いはばその街の歴史を背負っているのだ。だからといって日本の町中にアメノウズメノミコトやサルタヒコ、ヒミコの彫刻を配置せよ、ということではないし、まちづくりを考えるとそんなところに彫刻を配置しない方がよろしい場合も多い。とにかく、付け焼き刃や思いつきの体裁はヤメませう、ということなのだ。