大江戸参勤電光石火

皆どこへ行くのだらう?

駆け足で東京へ。多くの濃厚な話を聞き、未知の世界を開拓しつつある人々に出会い、美味しい珈琲を血肉に溶かし、異様な思念を孕んだ文物に触れ、数ヶ月ぶりに肉を食べ、様々な思ひを巡らせ、虚ろなビルの谷間を彷徨し、されど願いを託すべき星はこの街ではすでに見えず月の光さえ掌に届かず、何かに追われるやうに岬に戻る・・・
駆け足と言う割に、交通手段は夜行バスだ。ここの路線は以前には昼間にも1本、東京行きがあったのだけど、いつもガラガラで始発から乗っているのは僕一人という有様だった。そして知らないうちに昼間の便は廃止されてしまい、夜行も快適だった3列並びの座席だったのが2列×2=4列の旧状に逆戻り。もちろん安眠はほぼ絶望的であり、新奇工夫式のコの字型空気枕を首に装着しても、熟睡は不可能である。採算性重視の結果であり、何か時代の風潮には確実に逆行しておるとぞ思ふ。今回は週末だったこともあり、往きも帰りも満席だった。往きの便には史上最強と思われる歯ぎしりおじさんが乗っており、周囲一円の人々はついぞ眠りに入ることはできなかったわけだ。極めて不自然な小麦色に日焼けした2人のコギャル?たちなどは、「オヤジ、うるさ〜い」「ギシギシガエル、うざ〜い」と、眠れぬ事をよいことに夜中悪態を突いていたが、その声の方がうるさかった。「ギシギシガエル」とは言い得て妙で、まさにギシギシケロケロとしか形容のしようのない音でありました。とにもかくにも、お江戸への参勤は今も昔もなかなかハードなものがありまする。
虚ろな眼で我が家に戻れば、干からびつつあった我が覇拿里庭園にも天水久々に降り注ぎ、緑生き生きと蘇るを見ゆ。今朝の蝉の声、ひときわ高し。第三の睡蓮も咲きにけり。