真夏の漂着物

美味しそうな書きっぷりです

今日、海岸で発見した漂着物は、さまざまな憶測と想像をかき立てるものだ。幅8cm、長さ35cm、厚さ6mmの黒塗りの板に、白く筆文字で「とろ」と書いてある。その風体から察するに、寿司屋で掲げられていたものであると思われるが、それはそれでよい。問題は何故にこの板が、海岸に漂着したかということである。一瞬にして様々な物語が想像されるのであるが、最有力ないくつかの説を述べておくことにしやう。
1:紀伊の国の小さな港町にある「かわむら食堂」の主人河村義一は今年で62才、今でこそ港の食堂の大将をやっているが10年ほど前までは親父譲りの漁船に乗る漁師であった。高校を中退した次男が早くから船に乗ってくれたこともありほとんど親子二人で漁に出ていたのだが、ひょんなことで痛めた股関節脱臼を悪化させ、これ以上漁師を続けることは断念せざるを得なくなったわけだが、次男も今では一人前に船を回していることもあり、安心して食堂に専念できるわけだ。食堂と言っても、義一の昔取った杵柄と伝を活かして、実は寿司も出しているのだ。そんな様子がひょんな事からローカルテレビ局で紹介されてからというものは、素朴な漁港の食堂で出す新鮮で巨大なネタの寿司を求めて週末にはかなりの人が食堂に押し掛ける状況であり、数年の後には12席しか無かった店を拡張し、お座敷も入れて30席の店舗に改築したのだった。その際以前カウンター上の壁に掲げられていたお品書きも壁板ごと剥がされて、廃材とともにしばらく港の中の空き地に野ざらしになっていたのだが、廃材の回収が行われたのは店舗改築後のことであり、それまでに来襲した台風の大雨により港に流れ出した廃材の一部と5枚のお品書き札のうちの1枚である「とろ」が、6日後に海岸に漂着し、偉人に拾われたという説。
2:近年一部の裕福な人々の間で静かな流行になっている豪華客船によるアジア旅行だが、「底抜け満腹丸」が今年3度目の航海に横浜港を出航したのは7月上旬のことであった。今回の乗船客は56名であり、神戸で関西方面の48名の乗船客を迎えた後は、那覇・香港・シンガポールから、マニラ・グアムを経て1ヶ月後に日本に帰るという豪華な旅行だが、当然長時間を過ごす船内には考え得る有りとあらゆる設備がある。もちろん豪華なレストランの横には小さな寿司屋もあるのだが、横浜を出航した当日夜に事件は起きた。普段から酒癖が極めて悪い東京都練馬区の不動産業者田上省三58才は、妻だと偽って内縁の女性吉田京子41才とともにツアーに参加していた。乗船直後からミニバーでカクテルを次々に注文して飲酒を開始した田上だったが、あまりにもペースが早いことを心配した京子の諫めに逆上し、カウンターの上の灰皿をバーテンダーに投げつけたり花瓶の花をむしゃむしゃ喰ったりとやりたい放題。勢い余ってバーテンダーがマネージャーを呼びに行った僅かな隙に近くの寿司屋に入り込んだ。ふと我に返ってお品書きを見つけた田上は、仕込み中の大将に注文を付け始めたものの、店側はやっと今しがたシャリが炊けて卵焼きを焼いている最中のこと、丁重に事情を告げる大将の言葉が終わらぬうちに田上の頭に血が上り薄くなった髪の毛が逆立ちみるみる目が充血し、鼻血まで出して大暴れを始めた。大きな物音を聞きつけて駆けつけてきた船員やマネージャー、内縁の妻京子らが現れたことを一瞥した田上は何を思ったか壁に飾られた色紙「仲良きことはカボチャ哉」や各種お品書きの木札やヒョウタン型の七味入れや小皿などを手当たり次第に両腕に抱えると物凄い勢いでデッキに走り出て、勢い余って夜の海に落下してしまった。その時省三とともに海に落ちた3枚のうちの1枚である「とろ」が海岸に漂着したのは三日後のことであり偉人の目にとまったのは更に翌日のことであるが、田上省三本人は未だに行方不明のままである。
3:先日の大雨で洪水被害を受けた店舗から流出したもの。
4:「とろ」てう飼い猫の墓標
この4説のうちのどれかである確率は92.6%以上あるのではないかと思われるが、如何?