BWV988

もう1枚CDが行方不明

こうも暑いと、バッハを聴かねばなるまい。それも「ゴールドベルク変奏曲」だ。理由はどうでもよろしい。
まずはEkaterina Dershavina、30才そこそこのモスクワ生まれの女流ピアニストだ。素朴で可憐な笑顔が印象的な彼女だが、タッチは軽やかで、全体的に清楚な印象を受ける演奏だ。リピート部分も仰々しくなく、さらりとこなす。聴き始めとしてはふさわしい演奏だ。(77分13秒)
次は異端扱いされがちなKeith Jarretの演奏。言うまでもなくキース・ジャレットはジャズのピアニストだけど、彼ほどの技術があればバッハなどは平気で弾きこなせるわけだし、敢えてジャンルを分ける必要も意味も無い。チック・コリアモーツアルトの2台のピアノのための協奏曲を共演したこともあった彼だけど、今回はチェンバロをで演奏している。録音は真冬の八ヶ岳高原音楽堂で行われており、ピンと張りつめた空気を繊細に揺らす様子さえ窺い知ることが出来るほどの素晴らしい音質だ。チェンバロということもあってピアノ演奏の時より幾分音量を落として聴いているのだが、どうしてもタッチのもたつきや迷いが見えてしまって、正統派のクラシック演奏家のもののような感覚では聴くことができない。でも、時折光る独自の装飾音の解釈や、主旋律の歌い方は比類無きもの。メロディーを介して、静謐な空気を伝えているのかもしれない。(61分19秒)
さて、次は早くも究極であるGlenn Gouldの登場だ。いや、彼の場合は出現というべきかはたまた降臨と言うべきか。最初から最後まで、一貫した意識が通っていて、これ以上の世界は地球上には無さそうだ。もっとも、終始デジタル化によって鮮明に聞こえるグールドの歌というかうなり声というかハミングというか、これが気になる人にとってはこの世で最悪な演奏の部類に入るのかも知れない。自らを演出し、企画したTV番組にはしきりに出演し、時に歌い時に牧場の牛に向かって指揮をしてフーガを演奏しようとした折り紙付きの変人だが、この白鳥の歌はあまりにも美しい。(51分8秒)
しばし、色目も鮮やかなる紫蘇ジュース飲んで休憩の後は、Tatiana Nikolayevaの演奏。奇しくも最後の来日となった1991年に、名古屋の小さなホールにおいて至近距離で彼女の演奏を聴く機会があった。バッハが中心のプログラムで、ブゾーニ編曲のシャコンヌでは早いパッセージでのミストーンが目立ったが、もうすでに存在自体が半ば神格化されつつあったこともあり、その偉大な気配に圧倒されるばかりだったことを今でも思い出す。ニコライエワのゴールドベルクは余韻の長いホールでの録音でピアノの音色も独特だが、穏やかで堂々たる演奏。何かに包み込まれるような心地よさの79分38秒。
最後は編曲もの、Dmitry Sitkovetskyによる弦楽合奏版。普段鍵盤楽器での演奏に慣れきってしまった者の耳には、大変新鮮に響く。原曲の良さを知り尽くしたような編曲で、音の強弱に富み表情も豊か。気軽に聴くにはふさわしいCDで、今日も又熱帯夜の予感を孕んだ夜の闇の隅々にまで染み入るような演奏。
時折楽譜を開いて聴いているのだが、この調子だと聴き終わる頃には夜が明けてしまうかもしれないな。(-_-)