「土星の輪」と「優しさの輪」について

紫外線カメラの画像

土星の輪は魅力的だ。いくら宇宙の塵や屑、汚れた氷のかけらの集合体であろうが、夢見るようなその風体は極めて神秘的で、無限の謎を秘めているようにさえ見えるのだ。
最近のいくつかの探査衛星によって、土星以外の惑星にも輪の存在することが次々に明らかになってきた。地球だって偉大な月を従えているけれど、形成の過程が多少違っていればアステロイドベルトのように軌道を周回する輪になっていた可能性だってあるのだ。
今では宇宙葬ということも行われていて、スタートレックの原作者であるジーン・ロッデンベリーの遺骨はカプセルに詰めて大気圏外に打ち上げられたようだ。僕も可能なら、棺を土星の輪のカッシーニの間隙に浮遊させてもらいたいくらいだ。5千年後に地球からの宇宙船が土星を訪れて、浮遊する僕を発見する・・・ 「2001年宇宙の旅」的な展開を密かに期待しているのだけどね。
ところで日本のマスコミというのは、アメリカと同じで「学ぶことの出来ない」人たちの集合体なのだね。「学ぶことをしない」と言うべきだらうか、曽我さんにせよ雅子さんにせよ、どうして「そっとしておいてあげる」ということが出来ないのだろうか。インドネシアに着いたばかりのひとみさんに対し平気で「今どんな気持ちですか」だの次々と質問をあびせかける無神経さ。困惑したような表情がすべてを物語っているではないか。追って平壌から到着し、やうやう巡り会った家族に無限にフラッシュをあびせかけテレビカメラが押し寄せる。。。 
優しさや暖かさ、思いやりというものは、声なき行為の積み重ねであると思ふのだけど、どうもいまだにマスコミ様は特別な存在のようで、実際に特権意識高い人も多いからな・・・(-_-)
どうよ?