メメント・モリ

生命のうねり?

「台風一過」とはならず、曇りがちな一日となる。
昨夜のレーガン元大統領の国葬風景。荘厳と言う言葉はあまりふさわしくなかったが、気宇壮大な規模のものだった。現役各国首脳はサミットからの流れで、レーガン時代の元現役たちと一堂に会する風景はなかなか見物だったが、占星術と予言をもとに行動していたという夫人は何か奇異なものを見るような目で儀式を見守っていた。
可能性はゼロだけど、兵隊さんに棺を担がれ、耶蘇の大聖堂で仰山の人々に見守られて葬られる…なんてことにだけはなりたくないな。悲劇的な死に様だったけど、イラクに散ってタイで荼毘に付された橋田・小川両氏の方が穏やかな輪廻に入っているのではないかな、などと感じる。
どんなに事細かに遺言しても、葬儀を取り仕切り執り行うのは遺族や友人や葬儀社なわけで、自分の意志がどれほど反映されたものになるのかは極めて疑わしい。人知れず、見知らぬ土地で行き倒れ…というのは或る意味究極の理想だ。でもたとえ初めて訪れる土地で行き倒れたとしても、持ち物は全て調べられ、身元が調べられ、妙な状況になっていくのだろうな・・・
先日池袋の古いアパートで、20年間誰にも発見されることなく白骨化していた人が発見されたが、身元は知れたものの身内はすでに無く、無縁仏として荼毘に付されたということだ。この状況を悲惨とみるか理想とみるか、自分の死生観を試されているようで、改めていろいろ思い巡らせてしまった。それにしても現代は日常の風景から死を隠蔽し、隔離してしまったのだね。
ふだんは縄文人や古代人の葬制などを研究しているわりに、自分の死に関しては意外に無頓着だったことに気付いた日だった。
メメント・モリ