コトバのこととか・・・

踊るポンポコリンになります!?

コトバの使い方、おかしくない?
今とっても気になってイヤなのは、「とか」と「なります」だな。実例をいくつか挙げようか。
「私とかって、メールとかけっこう好きだし、手紙とかいまどき出さないし〜・・・」
「渋谷とかよく行く?」「新宿とかのほうが多いかなー」とか・・・
ファミレスやファーストフード店で、「こちらがランチになります」「サラダセットになります」
「私とか」って、あなたの他に誰のこと?「メールとか」何が好きなの?「手紙とか」何を出さないの?
「何?なりますだって??ということは今はまだランチじゃーないってゆーわけ?!待ってるとランチになるワケ???サラダになる?」
という感じで、どちらも思わず突っ込みを入れたくなるような違和感があるのだ。
フォトメッセージでもそうだ。タイトルからして「友だちとか募集」などと書かれているものも最近多い。
もちろんいくつかのものを羅列するときや、同時に省略したり余韻や相手に想像させたりする場合に使うことは何ら問題がないのだが、上のような使い方は何かとっても「耳障り」が悪い?!のだ。
成増ぢゃなくって「なります」コトバのルーツは、やはり各種のマニュアルに由来するものなのだろうか?例えばケーキ屋さんで値段の違うケーキをいくつも買って、「いくらになりますか?」「はい、860円になります」っていう使い方は、何ら問題無い。
でも運ばれてきた料理に「なります」を付けて差し出されても、う〜むと唸ってしまうのだ。
コトバは生き物だから、沢山の人に使われていくうちに変化していくのはあたりまえのこと。でもそんな自然淘汰や自然変化を飛び越えて、いはば唐突に出現する「居心地の悪い」言葉遣いは、どうにも馴染めない。