壺形の宇宙

何を入れる器?

俗に言う「前方後円墳」の形状は、いったい何を模したものであろうか。
そもそも聞き慣れた前方後円とは、何を根拠に前後を決めているのか不明であるが、数ある名称のうちで一説という註釈付きながらも、かくも広く普及した理由は、教科書での取り扱いにあるのだろう。まあ、語感というか響きというか、語呂がいいこともあるかな。
地方では「車塚」「茶臼山」「壺山」などと呼ばれている例もあるが、築造者も含めて現代のように完成後の姿を実際に上空から俯瞰した者は居ないわけだ。それでは計画段階で相似形に縮小された設計図を引く際に、何らかの幾何学的形状に抽象化される原形となったものが何か存在するのではないか、ということを想像するのは当然のこと。
古代中国では東方の海上遙か彼方に、不老不死の仙薬を生じる三つの島があって、皇帝をはじめとした為政者たちの憧憬の対象になっていた。蓬莱山伝説がその代表であるが、奇怪なことに彼らはその形状を壺の形であると信じていたようで、さまざまな画像やオブジェに具象化して残している。
個人的には同じ中国の「天円地方」思想に繋げたいという心情も働くが、どうしても両者の合体根拠や、「円」はともかく、「方」形状の不完全さが気になって仕方ないのだ。では、何か?と問われても、即答できるだけの学問的結構は持ち合わせていないが、今は「壺」説に大変興味を持っている。
「壺中天」寓話の例や先の蓬莱山にも関連する属性を求めているわけだが、前方後円という名称に対する疑問も作用している。教科書や解説書などに公表される古墳の航空写真の殆どが、「前方」部を下にしたものだ。ところがそれを上下逆さまにしてみた瞬間、壺型に変化するのだ。当然このような単純な形状論からのみアプローチしているわけではなく、神仙思想や死生観、葬制の変遷や思想的哲学的背景も同時に考慮した上での「興味」なのだ。
早い話が、葬られる立場になって考えること、または、自分が葬られることを想定して思考を深化させていけば、必ず古墳の初源や背景となった思想の古層に辿り着くことができるのではないだろうか。
手始めに、自分用の「前方後円墳」の築造を、そろそろ開始してみようかな。。。(-_-)