光の粒子

光と闇の劇的な饗宴

そう、確かにゴッホには風景があのように見えたのだ。
光の粒子が時に細やかに、時に鮮やかに、そして時にざらざらとした砂粒のように・・・
光が質量を持つのか持たないのか、物理学的な考察はさておき、宇宙にはそもそもこれほど膨大な光が満ちているというのに、どうして空間は光で満たされることはないのか?
光の飽和状態というのは、あり得ないことなのだろうか?
地球上で考えても同じこと。夜の闇を照らす街灯の光、車のヘッドライト、月や星の光などなど。どんなに巨大な投光器で暗闇を照らし続けても、光は飽和することなく朝を迎えるだろう。
そもそも闇という物質があるのかもしれない。光と闇が交錯する黄昏時。単なる陽光の減少が、あのような不思議で魅力的な色彩に満ちた空間を創出しているのだろうか。光と対応する、「闇」という物質が存在し、その増加により黄昏が生まれるのでは?
ゴッホの夜空には、素粒子が満ちている。光とはそもそも極めて量子的な存在なのかもしれない。