雨降りは 御手洗池の 團子哉

赤羽根海岸

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

演藝?園藝?? 久しぶりに「まつり」の幟旗を發見し行ってみると・・・
 

演藝どころか園藝關係のものも殆ど無く、實状は「野菜まつり」だったので、何故か焼きたてのみたらしだんごを買ってみた。
1本80円だが、5本買うと320円になると言ふので5本にしてみたが、不思議で微妙な価格設定だ。
 

 
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さて、埃及では軍の介入によってムルシー大統領が失脚。専門家に因れば、

現在でもタハリール広場では、反ムルシ―の大群衆がパーティムードで軍の介入を歓迎しているようですが、どうやらムバラクの末期から軍政にかけて、反体制で一致した世俗派・リベラル派とイスラム主義者のうち、前者がムバラク支持派と合体し、ムスリム同胞団がムルシ―の稚拙な治世下で徐々に国民の信頼を失って、孤立化して行った状況を背景に一気に攻勢をかけたと言うことのようです。

とのこと。より自由な民主化を求める若者を中心とした集團(残念ながら未だに政党化などの政治勢力としての組織化が為されてゐない)と、イスラーム主義標榜する保守派勢力に加へ、軍部てう第三勢力が政治的立場を明確にしないまま可成り積極的に關與してくるからややこしい。
一方土耳其では、エルドアン首相によるイスタンブールはタクシム廣場再開發計劃に對する反對運動をきっかけに、エルドアン體制そのものに對する不満が全國に擴大していった。エルドアンイスタンブールの下町出身で基本的には庶民派のはずだけど、しばしばイスラーム回歸的な言動が指摘されており、夫人は公の場での着用が禁止されてゐるスカーフを常に着用してゐるため、外遊を除く國家行事の場には招待されてゐない。
シリアの惨状は各國の予想を裏切り長期化。ロシア、イラン、中國の3國の手厚い支援を受けてゐるアサド政権の持久力は想像以上で、からふじて組織化されつつある自由シリア軍に對しては、

wall street journal によれば米国の反政府派に対する武器の移転が始まった。これはヨルダンの秘密の配給所からCIAが行うもので、これまで秘密裏に行われていた反政府は要員の訓練と調整され、欧州諸国とアラブ諸国からの武器援助とも調整されて行われる由。

との報道有り。
嘗ては強固だったイスラームの紐帯が、弛緩しはじめてゐるのだ。ターリバンの中にもより原理主義的な過激な一派が居ると思へば、名ばかりのターリバンも居る。(厳然とした輪郭を持ったターリバンなど存在してゐないから厄介なのだ。)
事實、チュニジアでは最近になって急進派イスラーム勢力と世俗派集團の對立が激化してゐるし、ヨルダンではムスリム同胞團に因る反王制デモがいまだ収束せず、シリアではイスラーム過激派の流入が増え続けてゐると言ふ。
かうして改めてイスラームの國々を見渡してみても、例へばホメイニのやうな強力なカリスマ性を持った宗教指導者も、カダフィのやうな狂信的なジャマヒリア幻視者も居ないことに気付く。所謂「アラブの大義」に起因するさまざまなテロ行為と同時に、常に燻り続けるシーアとスンナ派の對立構造は、一方がほぼ一つの國家として完結してしまってゐる現状では、解決する見込みは無い。(イラン及びアゼルバイジャン
確かにシーアはモスレム人口の15%ほどにしかならない少数派であり異端ではあるのだが、イランの地政学的な位置を見れば明らかなやうに、イスラーム世界、即ちスンナ派世界のほぼ中央を東西に分断する楔か斧のやうに存在感を際立たせてゐるのだ。

これらイスラームのゆらぎは、遅かれ早かれさまざまな形で日本にも影響を及ぼし始めることだらう。覺悟せよ!
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いつも左欄外のリンクに入ってます。
 
ところで誠に残念なことですが、我輩は今更のやうに日本の政界や選挙には關心がありません。
だからだうでも良いことなのですが、いまだに宣傳カーや街頭でマイクを持って絶叫している候補者が多いのは何故なのでせう?
マイクは擴声器へと繋がってゐて、声量は電気的に十二分に擴大されて周囲周邊に半ば騒音化して大放射されてゐるのですから、マイクに向かって絶叫する必要はありません。
そもそも、絶叫してゐることと一生懸命やってゐることは、全く關係の無いことなのです。
それと、候補者の名前の連呼に何の意味があるのですか? 
さういふことが投票行動に微塵の作用を及ぼすとすれば、洗脳された新興宗教集團に属する者以外は、寧ろ嫌悪感でせう。
多くの場合、路上で連呼されてゐる名前などは率先して記入しないに限るのです。
ついでに言へば、多くの党が「マニフェスト」などと言ふ意味不明な外國語をお題目のやうに唱へる意味が、どこにあるのでせうか。
ラヂヲニュースなどでは「マニフェスト、即ち政権公約を・・・」などと注釈付きで言ひ換へて讀むこともしばしばあるほどなのに、「政権公約」では何故いけないのでせうか。「政権公約」、政党公約でも宜しいが、立派で分かり易い日本語だと思ひますが、如何せでうか。
当然「アジェンダ」なぞは論外です。
 
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【おまけ】