半世紀分の灯火

   
   
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亡命半世紀、ダラ・イラマ「常に正しい決断をした」 見えぬ展望にいらだちも
(産経ニュース 2009.3.10 20:49 配信)
   

9日、インド北部ダラムサラで、報道陣に向かってほほ笑むチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世(AP=共同)
    
   
 チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世は10日、ダラムサラでの記者会見で、50年前のチベット動乱後にインドに亡命したことについて、「常に正しい決断をしたと思っている」と強調した。だが、チベット問題の展望は依然開けず、亡命生活のさらなる長期化も避けられない。ダライ・ラマの後を追うように、ヒマラヤ山系を越えて命からがらこの地にやって来たチベット人たちの子孫の間でも、いらだちが募っている。(ダラムサラ=インド北部 田北真樹子)

 「私はインドで生まれた。私の子供もインドで生まれた。でも、私も子供も難民扱いされる。なんとかしてほしい」

 ゲストハウスを経営するテンジンさん=仮名=(40)はこう訴える。1959年当時は、ダライ・ラマの亡命を受け入れたインド政府も最近、対中関係を優先させ、亡命チベット人に冷淡な対応をみせることが少なくない。

 彼女も「インド当局からにらまれたくないので、名前は仮名にしてほしい」と懇願した。
 万年雪のヒマラヤ山系のふもとに広がる標高1800メートルのダラムサラには、亡命チベット人約6000人が暮らす。

 テンジンさんはチベットから亡命してきた父と母との間に、5人きょうだいの長女として生まれた。両親は「苦労ばかり」だったといい、セーター売りや農業など生計を立てるためにインド国内やネパールを転々とした。あらゆる手を尽くして家族を養ってきた父親だったが、「結核にかかり、60歳を超えたら亡くなってしまった」。きょうだいのほとんどは海外で暮らす。自分の長女も米国に滞在している。テンジンさんのような離散家族はダラムサラには少なくない。

 テンジンさんは、ある冊子を見せてくれた。

 難民であるチベット人に、インド政府が発行する「身分証明」の冊子だ。わずか数ページしかない黄色の冊子が旅券の代わりになる。「ダラムサラがあるヒマチャルプラデシュ州では、身分証明の発行に1年以上待たされるし、賄賂(わいろ)を求められることもある。この前は子供の身分証明の発行を拒否された」とテンジンさんは憤る。
 経営者なので税金は払っているのに、旅券さえもらえない。「納得いかない。でも、インドの国籍は取らない」と言い切る。「当然、チベットに戻りたい。でも、中国が統治している間は無理。私はここに住み続けてもいいが、子供たちのことが心配だ」と顔を曇らせる。

 「テンジンさんにとってチベットは」と聞くと、「“マザーランド”(父祖の地)。そこなら難民である必要はないんだから」と力強く答えた。

 チベット亡命政府の議会が10日に出した声明によると、昨年3月に起きたチベット騒乱後、少なくとも219人のチベット人が殺害され、6705人が逮捕、1294人が負傷、286人が厳しい判決を受けたほか、多数が行方不明になっている。

 こうした状況を踏まえ、ダライ・ラマは10日の会見でも、亡命チベット人たちに「挑発行為には乗らないように。中国当局は危機的状況を作って、それを理由に人々を弾圧したがっている」と指摘し、自制を呼びかけた。

 しかし、遅々として進まない中国との対話について「現状打開の戦略はあるのか」と質問されると、ダライ・ラマは、中国メディアで政府批判の記事が最近増えていることなどを指摘し、中国国内からの民主化運動が一層顕在化することに強い期待感を示すにとどまった。
   
   
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チベット族自治州ルポ 「何しに来たのか?」厳戒…取材の自由なし 
(産経ニュース 2009.3.10 20:27 配信)
    

チベット動乱50年の10日、四川省ガンゼ・チベット族自治州康定県の金剛寺の僧侶。後方にいる数人は記者を尾行する当局者
   
   
 物々しい厳戒態勢だ。中国当局が大量に投入した治安部隊の車両が行き交う。 10日未明、甘孜(かんぜ)チベット族自治州の康定県から甘孜県に向かう途中の旅館。突然、4人の警察官が、就寝中の記者(野口)の部屋に踏み込んできた。「身分証を見せろ」。「何しに来たのか」「どこへ行くのか」。パスポートをコピーする必要があると、派出所まで連れで行かれた。

 早朝も7人の警察官と押し問答になった。「あなたがチャーターした車は白タクだ。法的手続きをとる」と主張して譲らない。そして、パトカーに乗せられ康定県に戻る羽目に。さらに、夜には当局の車で成都まで“強制退去”させられることになった。「安全のため」という理由だ。政府はチベット自治区での外国メディアの取材を基本的に認めていない。その周辺のチベット族居住区では「取材妨害」が行われていた。
   
 ●隠し持つ写真
アバ・チベット族チャン族自治州の理県。30歳代のチベット族の男性は、ダライ・ラマ14世の写真を服の内側からこっそり取り出した。
「信仰の自由が欲しい。今もチベット問題が解決しないのは、中国共産党がわれわれをまったく尊重しないことが根本的な要因だ」
ダライ・ラマの写真の所持は“ご法度”だ。周囲を気にしながら話す。「中国共産党は動乱後50年間にわたり、『民主改革』と称し、チベット人にとり文化そのものであるチベット仏教に「干渉」してきた歴史を反省せず、正当化ばかりしてきた」とも批判した。さらに、声をひそめて付け加えた。
「暴力的な抗議行動を計画するチベット族はいつでもいる」
中国紙によると、「チベット青年会議」などチベット独立派の一部は今年を「黒色の年」とし、抗議活動によって国際社会の支持を得たい考えだという。一方、当局は2月18日、チベット自治区で開かれた会議で、軍と警察に「ダライ集団の攻撃を断固粉砕せよ」と指示した。
   
 ●誰も信じない
政府は昨年から、チベット仏教の僧侶らに対する「愛国教育」を試みている。だが、甘孜県周辺に住む若い僧侶は「ダライ・ラマは『悪』だとする宣伝なんて誰一人信じてはいない」と吐き捨てるように言った。
彼によると、四川省の僧侶がチベット自治区ラサに行くことは禁止だ。こんな話もしてくれた。「(ダライ・ラマは)分裂主義者で、昨年の暴動の首謀者だ」と書かれた文書への署名を当局から求められたという。「従わないと、農畜産物の売却などに必要な各種の公的証明がもらえなくなるぞ」とも告げられた。
各地の寺院に対しては、僧侶の数を半減するよう政府から指示があり、強制的に「一般人」に戻される僧侶もいるという。当局側の発砲で死傷者が出たとされるアバ・チベット族チャン族自治州のアバ県では、「読経会」が今年に入ってから禁止されているようだ。
しかし、力による締め付けが強まるほど、住民らの不満も強くなる。2月末から今月にかけ、四川省などでは抗議行動が相次ぎ、同州理塘県ではダライ・ラマ支持をスローガンに数百人がデモ行進し、警官隊と衝突して数十人が拘束されたという。アバ県では先月27日、数百人の僧侶が抗議の座り込みをし、うち一人が街頭で焼身自殺を図った。
   
 ●3本柱への不満
「政府がどれだけの投資をして街を発展させ、チベット族の暮らしを向上させたと思ってるんだ」
康定県で雑貨を売る漢族の男性は激しい言葉で、独立を求める一部チベット族への不満を並べたてた。
政府は多額の公共投資によってチベット自治区を発展させ、それによってチベット族の不満を解消しようとする。同時に、武装警察部隊を増員し示威行動に出る。いわば「アメとムチ」だ。「発展」「武力」「宣伝」。これはチベット問題における“安定”を維持するために、政府が駆使する3つの柱である。甘孜県周辺に住むある僧侶の言葉が印象に残った。

 「経済が安定しても宗教に対する規制と締め付けがある限り、不満は蓄積されていく」

 (甘孜チベット族自治州=中国四川省 野口東秀)
   
 
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ダラムサラでろうそく手に平和の行進
(産経ニュース 2009.3.10 23:03 配信)
   
   

10日、チベット亡命政府のあるインド北部ダラムサラで、ろうそくを手に行進するチベット人僧侶ら(共同)
   
   
 「チベット動乱」から50年に当たる10日、チベット亡命政府のあるインド北部ダラムサラで、亡命チベット人ら数千人が、ろうそくを手にし、チベットの自由を求める平和的行進を行った。

 参加者らは、チベット仏教の祈りの言葉を唱えながら、ダラムサラの町中をゆっくりと行進。

 2005年にチベットからインドに逃れてきた男子学生ダソエさん(33)は「われわれは中国人を憎んでいない。中国政府の弾圧が許せないのだ」と指摘。「ダライ・ラマ14世に従い、チベットの自由が得られるまで戦い続けるつもりだ」と思いを語った。(共同)
   
   
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五輪聖火リレー辞退の善光寺チベット追悼
(産経ニュース 2009.3.10 20:15 配信)
    
    

チベット動乱」発生50年の節目として行われた追悼キャンドルと祈りの集い=10日夜、長野市善光寺
   
   
 昨年4月、長野市で行われた北京五輪聖火リレーで、チベット問題への憂慮などを理由に出発地を辞退した善光寺で10日、「チベット動乱」発生50年の節目として追悼キャンドルと祈りの集いが開かれた。

 参加したのは、善光寺などの僧侶やチベットを支援する市民団体のメンバーら約30人。チベットの旗が掲げられた境内の駒返り橋で、地面にろうそくが並べられ、犠牲者を追悼する読経や歌が会場に響いた。

 主催した「宗派を超えてチベットの平和を祈念する僧侶の会長野支部」の支部長で、善光寺玄証院の福島貴和住職(61)は「世界の中には、中国だけでなく、力で人の心を押さえ付ける国がある。とにかくみんなが平和になるように祈った」と話した。