素朴な疑問質問はものごとの本質を炙り出す

たてまつりおさめたりけるは

遺跡の発掘調査現場でしばしば受ける質問のなかで、毎回うまく説明できないものがある。それは・・・
「なんでいろいろなものが地面の下に埋まってゐるの?」
てうもの。
(-_-;)
        
理屈っぽく言へば、遺跡には地面に埋もれたものばかりでなく、古墳や石塚のやうに地面から盛り上がったものもあるし、石鏃や土器が地表に露出した場合もあるのだが、発掘調査の一般的なイメージとしては大なり小なり、地面を掘り下げるものが多いのも確かなこと。
遺跡や考古文物が地中に埋蔵されていく理由は一様ではない。風水などで運ばれてきた土砂によって自然力によって埋もれていく場合もあるし、人間様が意図的に地下に埋納する場合もある。
元位置を保ったまま数千年間眠り続けてゐる文物もあるだらうし、砂堆上の歴代遺跡のやうに、各時代に常に地業や撹乱を受けてさまざまな時代のものが混在する場合もあるだらう。
文物埋蔵の過程や遺跡の構造を解明することが考古学者の重要な仕事なのだらうが、「何故其処に存在するのか」てう根源的な問ひに答へることもまた、大切なことだ。
しかし、「小判は出るか?」てう不埒な輩は「小判は出ん!」と一喝することにしてゐるが、「なんで此処に遺跡の有ることがわかったの?」てう質問は考へやうによっては大変意味深長なので、本意を再確認した上で回答することにしてゐる。
(-_-)   
   
なかには「あんたは此処で何をしてゐるのか?」てう哲学的とも取れんことはない質問もあるが、大半は素朴派の類だらうから、「いろいろなことを調べてゐるのだ」と回答することにしてゐるが、別途ゲシュタルト的な模範解答例文も複数用意してゐる。
(-。-;)
        
縄文人貝塚に投げ捨てた土器片を、三千年後に我輩が拾い上げる意味。
大土木工事で構築された墳丘に埋葬されたさまざまな文物や遺体を、千数百年後の我々が見つめる意味。
└|∵|┘
       
ところでエヂプトだなんだと、ピラミッドが墓であらうがなからうが、ミイラが発見されやうがされまいが、発掘担当者らに畏怖・畏敬の念は有るや無しや?
  
古墳が必ずしも現代人の言ふところの墓ではないにせよ、死者や古代人の信仰を暴く役目を担った学者先生方に、畏怖・畏敬の念は有るや無しや。
   
墓場に死者の魂が宿っていやうがいまいが、霊魂の存在を信じやうが信じまいが、其の土地に住まふ地主神や大地母神に尊敬の念は有るや無しや。
   
無名の人々の産土を暴く役を担った先生方に、大地を敬ふ気持ちや態度は有るや無しや。
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気は心、心は態度と、我輩は思ふ故に我有り。