巡る円環の断面は美しき鉱物結晶のかむばせ

冬のパナリガーデン

冬の寒い寒い朝は起きるのが辛いし、目覚めても猶布団の繭玉から抜け出ることが億劫なのだけど、えいやっと起きて仕舞へばぴりっとした冷たい部屋の空気が寧ろ心地良く、火鉢の埋み火の灰の丘の上に掌をそっと翳し、姿の見へない炭火のほのかな温もりを感じたときのささやかな幸せは、なにものにも代へ難ひものだ。
何、年寄り臭いって?
(ー∧ー)!
   
今天は終日、ばうばうと北西風の吹き荒れる寒い寒い日。
朝早くから目覚めてしまったのだが、天気晴朗なれど波高く気温低く、いきなり外でいろいろと作業などする気にはならないのが当然だ。
埋み火を掘り起こし、火鉢のなかに火など急ぎ立てて掌を焙りつつ、牛の乳をたっぷり入れたバッハブレンドを飲んで肉体と脳髄を覚醒させる。ひうひうと電線を鳴らす大風に乗じ、メンデルスゾーンスコットランド交響曲など鳴らし乍らしばし蘇生の時を過ごす。
この交響曲の冒頭部分、スコアで確認してみるとオーボエクラリネットファゴット、ホルン、ヴィオラによって奏でられる荘厳なユニゾンの序奏。其の哀愁に満ちたメロディは、序曲「フィンガルの洞窟」を貫く雰囲気と似て、極めて情緒的で旅心を誘ふ。
結局昼過ぎまで、ミニコンポで再生出来る最大音量でメンデルスゾーンシューマンの全交響曲を鳴らしまくり乍ら、何枚かの図面の校正と検討を行ふ。音量・音圧の増加に比例して、室内工作が捗る傾向は未だに明らかだ。但し、ペラや歌曲は要注意。スコアを探り出して歌って仕舞ふと、さすがに図面工作や文章工作は出来ないからね。
(-_-)
    

  
メンデルスゾーン:序曲集

メンデルスゾーン:序曲集

  
午後になって、New York 在住の Nobi からの New Year mail が届き、何度かのやりとりの後に Skype を起動。
劇的な9.11の時の生々しい話や、パリやベルリンの昔話。更には、我輩が陶都常滑に入り浸ってゐた頃の話などなど・・・
正に、新暦新年にふさわしい会話を楽しむことが出来、渦巻き巡る円環状の縁の不可思議さをしみじみと思ふ。その間、何枚かの画像をメールで交換し乍ら、此の夏前に来日予定の彼女との、約20年ぶりの再会を楽しみに、keep in touch.
(―_―)
    
夕方までに一層激しくなった木枯らしにもめげず、自転車で岬へ。
やはり今夕の太陽も昨夕同様、紀伊山地鈴鹿山脈方面から断片的にやって来るはぐれ雪雲の彼方に沈んでいったのだが、雲間から時折覗く陽光は神々しいほどの黄金色に光り輝き、思はず自転車を降りて半ば呆然と遙拝。
(-_-)
     

      
  
それにしても、今季は妙にピラミッドの番組が多いな。
先日はザヒ説を主軸とした内容だったが、今夜のは吉村説だ。両番組とも共通するのは、ワケのワカラン妙な漫才師や芸能人が、一般の考古学研究者も立ち入ることの出来ない内部空間にずけずけと入り込み、わーわーきゃーきゃーとはしゃいでみたり大仰に驚いてみたり、更には超薄っぺら〜いコメントを宣ふことが普通に堂々と放送されてゐることがしゃくに障るし、何よりも精神的な背景を持つ遺跡に対して失礼なのでやめていただきたい。しかし、今晩の番組の解説部分では、吉村説をかなり専門的に、しかもわかりやすく解説しておったな。齟齬は多いが、もっと注目されてもよい学説だ。
シンメトリーを基軸とする古代エジプト式美学や、幾何学的な黄金分割を援用しつつも、近年神秘主義的色彩を強めつつある吉村説だが、実際のところ我輩はかなりの部分に共感できる。しかし、考古学は推論よりも出土文物からの実証が要求される皮肉な運命を背負った学問であるからして、神秘主義者達はとりわけ厳しく異端審問を受けなければならないのだ。
我輩も何度か、西班牙風ではなかったが異端審問の場に晒されたことがあるが、過去の事例を引くまでもなく、嘗ての異端説が百年後の定説であったりすることはよくあることなので気にしないが、ただ「何もしない」ことや「何も唱へない」ことが学問の進歩に貢献した事例は殆ど無いので、さういふコンセプトだけは避けたいと思ふ次第。
(―_―)
      

今天の風花は頬に吹き付け、岬に止めた自転車を引き倒すほど。
身の凍てつくほどの風有りてこその「冬」なりけり。
来い、雪雲!
此の劇的な風景に馴染む音楽は、上原彩子の弾くプロコフィエフ以外に無いやうな気もするのだが・・・
    
プロコフィエフ作品集

プロコフィエフ作品集