いにしへの秋の炉穴や火廼要慎

PANALI2008-10-31

縄文早期の炉穴を巡る話題は謎と共になかなか尽きず、かういふ逡巡も考古学の醍醐味の重要な一部であるのだらうが、気忙しくかまびすしい緊急発掘の現場ではなかなか確保の難しいひとときだ。
草創期や早期を通じて確立され、主に列島の太平洋沿岸(南九州から後の東海道)地域を中心に繁栄した炉穴構築の技術は何処に収斂されて仕舞ったのか? 恐らくは500度近い高温を得られたであらう炉穴の数々を用ひ、いったいどのやうな生業が営まれてゐたのか? 
早期炉穴の、所謂後世に言ふ「竈」そのものの構造を見るだに、古代の住居址に付属する竈の去勢されたやうなちんまりとした有りやうに落胆さへ覚へるし、所謂縄文時代の、しかも其の前半期に人々が持ってゐたやうな、自然に併呑されつつも自然を内包して仕舞ったやうなおおらかさはいつたい何処へ霧散して仕舞ったのだらうなどとしみじみと思ふ次第。
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勿論言ふまでもなく、現場には其処に遺された有象無象の「全て」が有るのであって、現場から切り離された文物などにはいくら濃厚な情念が込められてゐても、元来の価値は半減してゐると理解した上で接するべきだらうね。
かといって細部に宿ったカミの姿をも、生々しい出土現場で全て看取感得することも出来ないワケだから、遺跡や遺構と切り離されてからの詳細なる観察も必要なこと。例へば、朝日遺跡出土の莢状容器表面に刻まれた繊細なシカの行列文様などは、出土文物整理過程に於ける浮神博士の慧眼が無ければついつい見過ごされて仕舞ったことだらうし、現場では出土そのものの状況を保持記録することだけで精一杯だったはずだ。
理想を言へば、現場工作者が室内工作も引き続き担当し、文物との結縁を可能な限り保ち続けることによってのみ得られる内的観察眼を以て調査報告書を作成すること・・・
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とかく現実に支配され流されがちな毎天だらうが、せめてできるだけ大きめの志や、距離感覚(遺跡や出土文物との遠近感)を意識しながら万象と接したいものだ。
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