島の人生

波を蹴る!

今天は高速船に乗って篠島へ。
偉人を此の常世浪寄せ来る伊良虞の島辺に引き寄せたのは、何も敷浪の磁力だけではない。偉人と此の地を直接的に結びつける媒体となってくださった健さんが鬼籍に入り、既に七年が経過した。
健さんが偉人にとっての恩人の筆頭であることは言ふまでも無いが、健さんは田原とも縁の深い人だったこともあって、我が覇拿里荘にも何度もおいでくださったものだ。
七回忌の法要は親族の方々だけで既に済まされてゐるため、先づ奥様と、御仏壇にご挨拶。其ノ後、狭い狭い集落の隙間の瀬古道を通り抜けて、高台の墓地へ。健さんの墓石は奥様の出身地でもある渥美の石工が丁寧に仕上げたもの。それにしても健さん、今は何処におはしますや?
(-_-)南無
                  
梅雨の晴れ間の陽光も、南方から次々に押し寄せ来たる灰色雲に隠されがちだが、此の時期らしく蒸し暑さも有る。今回は何故か、墓地に蚊虫の姿が少ない。蝋燭に線香を手向け、縁石に腰掛けて、しばし健さんの思ひ出と対話。
そのうち本堂の方から、恐らく新四国巡りのお遍路さんたちの賑やかな喋り声が聞こゑはじめ、やうやう腰を上げ、墓地を通り抜け、島の稜線を縦走する往還に出、今度は島の反対側へ。棚橋在住の石橋さん(建具職人)を訪ねるワケだが、既に石橋氏が所用で知多半島に出ておられ不在であることを知ってゐた。
我輩の方は自分勝手なもので、皆さんが在宅であらうがなからうがもりもりとでかけて仕舞ふ性癖が有って、今天も其の例外に非ず。ふらふらし乍らも、渥美半島側の展望が開けたところでは火力発電所脇に立ち並ぶ風車の数をカウントしてみたり、知多半島先端が遠望できる廣場ではバブルの象徴として未だに屹立するチッタ・ナポリの高層棟をぼんやり眺めてみたりと、島から見る風情は常に新旧さまざまだ。
20分も歩くうちに石橋邸に辿り着き、奥様と久々に再会。世間話や旅の土産話で時間を潰してゐると、先ほどまで知多にお出掛けであったはずの石橋氏が帰宅され、驚く。聞けばまんだいろいろ所用の有りしが、後の予定をキャンセルして高速船にて急ぎ帰宅された由。誠に恐縮至極なれども、折角御帰宅されました以上、さまざまないろいろをあれこれなんやかんやとお喋りに花を咲かせる。
そんなうちに忽ち、渥美に帰る高速船の出航時間が近づきたりければ、これでもかと言ふほどの仰山のお土産(海産物)を頂戴した上で、港まで自動車で送っていただく。
(-_-)
                  
兎に角、島の人情風情は独特濃厚で、偉人を常に暖かく迎へてくれる。
健さんと言ふ大きな要石は此の世から姿を消して仕舞ったけれども、其の意志や精神は石橋さんなどに継承され、脈々と生き続けてゐるのだね。
ところで、島から伊良湖への乗客は我輩一人で御座ゐましたが、路線の存続に影響の有るや無しや?
(-_-)