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ラマ僧の作ったお守り

今天もまた、東風吹かば、穏やかで柔らかな天候。
東の蔵はいまや溶解しつつある我が邦なのかもしれないが、西の蔵は一見すると発展途上の荒野だが其の実は、精神的には極東の島国にも引けを取らないほどの豊饒な宇宙を創り出してゐた。(但し極めて仏教的ではあるが) 北京や上海がいくら鉄路で拉薩と結ばれても、ニェンチェン・タンラ山脈は険しく、唐古拉山の雪は深いのである。
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(法新社印度達蘭薩拉十八日路透電)
達�喇嘛今天說,如果西藏的暴亂失控,他將辭職。
達�喇嘛在印度北部達蘭薩拉的記者會上說:「如果事情演變成失控,那麼我的唯一選擇是完全退位。」
              
「藏人抗暴 火燒進北京 」更新日期:2008/03/18 04:09
北京中央民族大學 學生校園靜坐
〔編譯陳泓達綜合十七日外電報導〕中國十七日持續封鎖西藏首府拉薩,氣氛肅殺。總部位於印度達蘭薩拉的西藏流亡議會十七日發表聲明,指稱拉薩與中國統治的喜馬拉雅山其他地區的抗暴運動,迄今已造成數百名藏人喪生,呼籲聯合國與國際社會給予關注。在此同時,中國少數民族教育的最高學府、北京中央民族大學十七日約有五十多名藏族學生在校園內靜坐抗議,使聲援藏人的示威首度延燒到中國首都。目擊者說,抗議者點燃起蝋燭,公安也在現場,雖未爆發衝突,但公安已展開搜捕主謀者的行動。設於達蘭薩拉的「西藏人權暨民主中心」指稱,拉薩街頭到處都是軍警部隊和裝甲車,挨家挨戶搜捕,尤其是藏族男性青年幾乎無一倖免,在遭拳打腳踢後被從家裡拖出戶外押走。當局稱將?赦自首份子 藏人不信西自治區政府十五日發佈最後通牒,限令參與示威者在十七日午夜前自首,並承諾自首者將予以從輕發落。然而,當局早在十五日深夜便開始在拉薩全城搜捕嫌疑份子,估計已逮捕數百人。許多人根本不相信當局聲稱將?赦自首份子。據稱中國早已滲透到西藏地區絕大部份的主要寺院,對寺院喇嘛或僧侶的生活行動瞭如指掌,即使自首投案也難以倖免秋後算帳。中國還可能向印度等鄰國施壓,要求封鎖邊境,不得讓逃亡的藏人翻越喜馬拉雅山脈入境。藏人抗暴運動已從西藏擴散至四川、青海和甘肅。包含僧侶在內的一千多名藏民十六日在四川省阿壩自治州的格�寺發動示威,並攻擊縣府大樓和警察局,縱火焚燒警車,警方朝群眾開火,造成至少八人喪生,包括一名年僅十五歲的學生。在甘肅省,夏河鎮則因接連兩天爆發抗議活動,當局宣佈宵禁,進駐鎮暴部隊;在省會蘭州,五百名藏人學生十六日聚集在蘭州大學足球場,以行動支持拉薩藏人。在鄰接四川的瑪曲縣,包括僧侶在內的數千名示威者十七日走上街頭,和數十名警察爆發衝突,據稱警方有十人在衝突中受傷。此外,中國也開始封鎖資訊,除關閉影音分享網站YouTube連線外,並強制驅離十餘名在拉薩採訪的香港記者,外國觀光客也被命令離開該市。針對外界抨擊中國血腥鎮壓藏人的指控,西藏自治區政府主席向巴平措十七日反控藏人暴民殺害十三名「無辜平民」,並否認出動人民解放軍和致命武器平亂,鎮暴部隊甚至沒開過一槍。但此說法與當時拉薩居民與外籍遊客所目擊的情況不符,分析家指稱,從拉薩街頭出現的武器裝備判斷,解放軍已出動精銳部隊進行鎮壓。
              
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X13集石土坑の神奇的な展開。
確かに、トレンチセクションの一部に其の兆候はみられてゐたものの、ごく局所的な現象であらうと過小評価してゐたのだ。ところが完掘してみれば、結果がこれだ。即ち、土坑プラン全周ではなく南側半分だけだったが、断面形状が袋状を呈する土坑だったのだ。
確かに、縄文時代には袋状土坑と呼ばれる一群の土坑が存在することは確かだが、炭化物と被熱礫がぎっしり詰まった集石土坑の形状が袋状に掘削されてゐやうとは、なかなか直ぐ思ひ浮かぶ類例は無い。しかも、被熱礫は土坑内部ばかりならず、X10やX12同様、プラン全体を覆ふやうに盛り上げられてゐたのだ。
朕思ふに、所謂炉穴から集石土坑への遺構の構造的変化は如何にも唐突であり、機能面でも炉穴と集石土坑が同じであったと言ふ確証は無い。しかし、編年的な先後関係は既に解明されてゐることなので、変化の原因を追及する必要が有る。
事の次第は単純ではないが、トンネル構造の炉穴と擂り鉢状露天構造の集石土坑の中間に、経過的構造として此の袋状集石土坑を位置付けて考慮してみる価値は有る。他の類例同様、やはり時期をピンポイントで特定する土器などの遺物が出土してゐないことは返す返す残念だが、豊富な炭化物(太い薪状の炭が土坑底部にぎっしり詰まってゐた)の年代測定結果などは有力な手懸かりになることだらう。
それと、地山近くまで掘り下げたトレンチからは、再び細石核が出土。散漫ではあるが確実に、地山近くには旧石器時代の遺物包含層が封じ込められてゐるのですね。
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さて、今天はふらりと、知多半島方面から山下先生来跡されて遺跡調査の様子を御見学。予告していただければ土器などの資料を用意しておきましたが、今回は残念で御座ゐました。でも吉胡貝塚資料館は見ていただけたやうですね。先生は昨今、秋の学会、ナムサンデハッキョ(南山大学校)における記念講演の準備をされてゐるとのこと。其のテーマの先苅貝塚も雁合遺跡に続く早期の出来事であるが、学史的な意味合ひではまさに別格の遺跡であるので、調査担当者じきじきのお話は誰でも聞きたいはず。関係者一同、期待しておりまする。
それと、NKGM君も排土調査お手伝ひいただき、ありがとうございました。<(_ _)>
            
ところで東風吹きますれば、明天は再びの雨の気配。調査のケジメ、恙無く終はらせていただきますやうに・・・
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K14土坑から出土した石皿と磨石のペアと、北斎風にオーバーハングするX13集石土坑の構造。
           
   
地山直上に堆積した包含層出土の細石核と、宮西遺跡でMSYM氏によって表採された石槍。