天啓と黙示

魚喰ふヒト人喰う魚

確かに、権力は常に腐敗し、文明や社会や組織は内部から崩壊する。
アメリカ生まれ、オーストラリア育ちのメル・ギブソンだが、『パッション』に次ぎ『アポカリプト』で表現したかったものは何か? 文化文明の興亡や盛衰。残酷さや厳しさ。生々しさや嘘っぽさ。それとも・・・
             
彼は言ふ、「映画を観る人にこの世界を信じて貰ふ為には、英語では無理だと思った。」と。更には、「登場人物が英語を話してゐたら、あまりにも嘘っぽいだらう?」とも。此のコトバは、そもそも虚構世界の産物である映画作品に対するものであることを考へると、かなり矛盾してゐるが、そんなことなど彼の盲目的な情熱の前には、無意味なのだらう。
『パッション』における古代ラテン語アラム語の台詞も、同様の理由に起因するものだらうが、いずれの場合も映像の神秘性を増幅することに貢献してゐる。『アポカリプト』の表面的な主題は闘ひの残酷さと民族の自立だらうが、真意は文明のアイデンティティーそのものや、其の出自に対する並々ならぬ興味に因って支へられたものだ。それは即ち、極めて単純な好奇によるパッション=情熱なのだけど、既に『ブレイブハート』でスコットランドの英雄像を通じて経験された民族的アイデンティティーが、民俗的領域ばかりならず、人心の領域にまでも敷衍可能なものであることを、改めて生々しい映像で示したかったのだらう。
それにしてもマヤの都市国家エントロピー極大状況として描かれてゐたが、その退廃は正に世界の終末。或る瞬間はフェリーニの世界に、また或る瞬間はソドム&ゴモラ。それと、西班牙人たちの上陸シーンはちょっと珍奇でしたね。実際にも耶蘇の伴天連を伴って、あのやうな大仰な状況だったのかもしれませんが。
                    
過去の偉大な文明の多くは、血生臭ひ闘争の産物である。
地上や地中に残されたそれらの痕跡から、暖かな血の流れを感じ取ることは難しいことだが、自分の心の奥深くに沈殿した本能の力や遺伝子に潜む意識の系統に頼れば、一見何もない遺跡に花を咲かせることは可能なのだ。これは単に、想像力の問題ではない。
しかし其の実は、歴史の場面は其処に立ち会った人間が実感してゐる以上に絢爛なもので、其の再現は困難が伴ふ。中米の密林を制圧して築かれた太陽と血の文明は、今後もしばしば再現されるだらうが、此の作品の貴重性・希少性は変わらないだらう。
出来上がったものと監督の意図がどれほど近いかは別にして。
(−_−)
               
アポカリプト オリジナル・サウンドトラック
           
週末深夜興業の映画館、此の作品の客数は約20人。(上映開始時間は11時半からで、終了が午前2時。) うち半数ほどが所謂日系人のやうで、西班牙語や葡萄牙語らしき会話が其処此処から聞こゑてきた。最近は昔みたく、オールナイト興業てうのは無いのだらうか?