海頓先生へ

草木深く、闇に沈める

「数百万人が移住を開始」てう大仰なコピーが否が応でも目立つ ASCII の解説書、「セカンドライフの歩き方」を書店で見かける。*1
          
セカンドライフの歩き方 (アスキームック)
            
3D CG によるオンラインのコミュニケーション空間である「セカンドライフ」に対しては、本能の領域に介入されたやうな嫌悪感や不快感*2を感じる。
そもそも所謂「オンライン」自体がバーチャルで脆弱で幻視の世界の連繋を前提に成立してゐるものだが*3、その上更に虚無で広大無辺な世界を閉じた世界で「別人格の自分」を演じる事にどれほどの意味が有るのか*4。もし意味を必要としていゐないとすれば、それはいったい何なのか。疑ふらくは是、地上の霜ならず、澱みに浮かぶうたかたにさへも匹敵しない「虚ろ」そのものなのか。
地球表面を覆ひつつある無意識の電絡網として、また或いは、無意識の神経系繋絡としてのインターネットの存在意義は既に追認したので宜しい。しかし、其の虚数領域で展開される言の葉の堆積や蓄積が、果たしてどれほど宇宙の膨張そのものに影響を及ぼしてゐるのか*5、自身計り予てゐるのが現実だ。
世間虚仮、前提として此の世の全ては虚しいものだが、虚無にもまた至る所に間隙が有って、そんな隙間に垢の如く付着した人間の言動の痕跡は寧ろ、有意義で愛ほしいひものだ。そしてまた、辿り着く先は決まったやうに憐憫の情・・・・
数十年来が此の無限の連鎖の連続なのだから、それこそ放っておいて欲しいのだが、矢張り人間である以上螺旋軌道の相対として何ものかを常に求めてゐることは確かなこと。他己の認知そのものが、情緒や憐憫の情を通してはじめて行はれるものである以上、自己は常に憐憫の主客でなければならないし、無意識を内包し虚無を併呑した存在でなければならない。
こんな強迫観念が常に有るのだが、幸ひ精神的な苦痛には繋がってゐないので、その恩恵はしっかり享受してゐるワケで、安心して呉れ給へ。
(−_−)?
             

6 London Symphonies

6 London Symphonies

深夜に目覚め、こんなことをあれこれ無限に考へて?ゐる時のBGMは意外にも、ハイドンだったりしますがなにか?
特に第103番の「太鼓連打」の動静序破急がいちばん好きですが、第94番「驚愕」の聡明なユーモアや、第96番「時計」の清潔感がたまりません。此のCD、演奏は阿蘭陀的コンセルトヘボウですが、" Sir " Colin Davis の啓蒙の御蔭か、英国風の暖かみのある演奏に仕上がっております。兎に角、ハイドン後期の所謂「6つの倫敦交響曲」、どれも個性的で激しく好きです。
ちなみに、中国での表記はハイドン=「海頓」
        
ところで沖縄の本土復帰35周年らしいのですが、実質的な内容を伴ってゐるかと言へば極めて疑問。
(−_−)

*1:数分間手にしただけで、まさに拾ひ読み、パラパラマンガ的に速読したに過ぎない、にもかかはらず・・・

*2:極めて感覚的な感想だが、全くうまく表現されていない。

*3:目に見へない部分に存在する技術的基礎は、自分の存在の有無とは関係なく構築され続けてゐるものだが、認知せざるを得ない。

*4:屋上屋を重ねる、砂上の楼閣、蜃気楼、どれもいまひとつしっくりこない形容。

*5:重要な事は、宇宙の消長にどれほど関係関連し、貢献してゐるのかてうこと。