感知脳力

林立!

自分の関与するあらゆる事象の「限界」を見極めることは、意外にも難しいやうだ。
そもそも、自分の能力の限界は比較的目に見ゑるかたち(例へば物理的な壁のやうなものだったり、肉体的な感触だったり)で立ち現れることが多いので、感性さへ腐食してゐなければ自覚は容易な方だらう。もっとも、さういふ能力限界を信じたくない自己が優勢に立つ場合は少々厄介で、別の折伏が必要であらう。
ヒトとしての個々の繋がり同様、組織集団との付き合ひもまた、契約云々といった事務的関係はさておき、最終的には個人の関係に収斂されて行くのであって、呼吸のやうな阿吽が重要なワケだ。
友人との関係の多くは、感情的なものと金銭的な要因で解消される事が多いと思ふが、我輩の場合は多少特殊な領域で関係する場合が有るので、そんな時は極めて感覚的且つ情緒的な動きを読んで(これらは即ち本能の領域)、自分の関与する限界値を決めることになる。必要と有れば親友でも関係を絶つし、不要と感じれば朋友でも関係しない。
いずれにせよ、他人から自覚を促されたり諭されたりするほど情けないことはないと思ふので、「自らの限界や自らの進退は自分で決める」などと、何時も何処かで聞いてゐるやうなカビの生ゑた謂ひが、畢竟再説されることになって仕舞ふワケだ。
エントロピーの法則を引くまでもなく、此の世のものごとには始まりが有れば終はりも有り、限界や臨界や境界も存在する。元来、それらの殆どを感知する感覚を、我々は持ってゐるはずなのだが・・・
(−_−)ふむふむ
           
今天は早くも初夏の陽気にて、凱風快晴。手摺のガタツくベランダに出した布団が大いに乾き、普段の煎餅状態からは想像出来ぬ程容積が大膨張し、ふかふかのさらさらになった。久々に肌で感じる太陽の匂ひ。
連日の激しい工作活動で知らないうちに溜ってゐた疲れのせいか、エラさうに世間様並に連休の恩恵を受ける身上の心理的作用のせいか、はたまた厚手のカーテン様の御陰様かは知らねども、昼過ぎまでしっかりぐっすり眠りたりけるよ。
好く眠れば疲労も霧散し、体調も一気に回復・・・などてうは栄養剤のCMか映画の中の出来事であり、実際は寝過ぎると所謂「寝疲れ」なる妙な疲労が生じるのでいけません。(今天の場合は無事回避)
(−_−)zzzzzz~
             


また夢でも見てみるか

また夢でも見てみるか

        
式年遷宮の20年、或る蝉の17年周期、太陽黒点の11年説、夫々の数字に意味は有る?
          
深夜に至り、帰宅。1ヶ月ぶりの恐怖あれこれ・・・・
(−_−)mmmmmmm