沈黙の往来

カマキラスのやうで不気味です

日頃、工作現場周辺をマウンテンタイプの自行車で往来してゐるのだが、気になる事がいくつかある。(スティーブン・セガールのことではない)
そもそも自行「車」である以上は車道を通行すべきと思はれるが、道路交通法のうんぬんはさておき、歩道の設置された道路を走ってゐても、道が交差する毎に縁石の衝撃がかなりあって、非常に快適とは言ひ難い。*1 かといって、車道に降りて走行すればこのイヤなガタガタからは開放されるが、縁石との間に余裕が殆ど無いので、自動車とすれすれで走行を余儀なくされて、大変危険だ。我輩は自動車も運転するのでよくわかるが、はっきりいって車道を高速で走行する自行車はその動きが予想できないこともあって危険で迷惑な存在だ。*2
そんなこんなで結局自行車は車道と歩道を往ったり来たりして走行することになるのだが、勿論歩道には歩行者が存在するのであって、彼らを避け乍らの蛇行走行することもしばしばある。老人や犬の散歩人の場合は迅速な回避行動が返って衝突を招くことが多いので、極力減速するのは当然のこと。
もとより狭い幅の歩道が多いので、自行車同士のすれ違ひはできるだけ左側に寄ることを暗黙のルールと思ってゐるのだが、時々だうしても同じ側を譲らぬまま向かって来る自行車も居るが、是は目を瞑らう。困るのは小・中学生だの何だの、コビトや若者が複数並んで向かって来る場合だ。恐らく自行車に乗らぬ輩にとっては信じられない事かもしれないが、彼らはしばしば、すれ違ふ直前になっても避けないのだ。さう、道を譲らないのだ。
今朝もさうだったのだが、中学生と思しき三名様が狭い歩道を横に並んでこっちに向かって来る。うちお一人様は10mほど手前でさっと後ろに下がってすれ違ふ準備行動に移ったのだが、残りの二名様は横に並んだままこっちに向かって来る。彼らは楽しさうにお喋りをしてゐるが正面を見てゐないワケではなく、ちゃんとこっちを見て走って来るのだが、我輩がこのまま直進すれば約一名様と衝突することは必定だ。朝から衝突事故はイヤなので、仕方なく我輩が停車するやうな感じでガードレールいっぱいに寄って道を譲ることになってしまったのだが、彼らは何ら悪びれる事無く通過して行った。みてくれで彼らの性質を判断する気は無いが、ヤンキーのやうでも異邦人のやうでも何でも無く、所謂フツーの中学生のやうだ。今朝の場合はほんの一例に過ぎないが、我輩の個人的な体験だけでも此の他に枚挙に暇無し。
幅に可成り余裕の有る歩道でも、比較的高速ですれ違ふ若者には注意せねばならないことしばし。と言ふのも、以前から若者達の基本的な危機回避能力がかなり低下しつつあるのではないかと感じてゐるからだ。個人の運動脳力に違ひが有るのは当然のことだが、本能的な回避行動は人間様でも動物様でも同じ事。無益な衝突は無意識の領域の作用で避けるのだフツーだらう。食生活の変化なのか栄養の偏重なのか、化学物質の影響のせいか宇宙人の陰謀か、惑星直列の影響なのか電磁波の影響なのかは知らんが、本能的な危機感覚をも鈍化させる何らかの状況が密かに進行してゐることは間違ひ無いやうであり、極めて不気味な事だ。
(−_−)
       
沈黙の春

*1:絶対に自行車で走った事の無いヒトが設計して作ってゐるに相違無いし、自行車でさへかうだから、車椅子が走行することなど毛頭想定されてゐるはずもなからう。

*2:稀に、車道が自行車専用車線かと思はれるほど広くなった道路もあるが、往々にして予告無く消滅してしまふので信用ならない。