旅のあれこれ

哀しき街角

昨天の続き。
旅の功罪については人夫々。其の詳細を挙げ連ねても意味は無いが、簡潔に語ることは非常に難しいことも事実だ。

―永遠の現在―
旅は人生に喩えられる。
旅先で出会う風景は、二度と繰り返すことはない。
後に同じ場所を訪れても、自分の心の状態や、
そこに在る物や人物の様子や、
光の加減や、においや音や、温度や、
様々なものが織りなしたあの瞬間は、
二度と戻ってくることはない。
        
旅することは風景のなかをただ移動していくことではない。
一瞬一瞬が、二度と取り戻すことのできない瞬間の連続であり、
そういう思いがあるからこそ、人や風景との出会いが永遠になる。
          
おそらく、一人の人間が行きていく時間もまた同じだろう。
今この瞬間は、この瞬間でなければ感じとれない様々な機微に満ちていて、
同じく見合わせは二度と起こり得ない。
       
すべての一瞬が、始まりであり、終わりである。
そして、どんな一瞬にも、宇宙の摂理が流れ込んでいる。
だから、状況に関係なく、そこに美は存在している。
自分の身体の記憶を辿れば、それは誰にでも発見できる。
                
                  『風の旅人』vol.17 LIVING ZERO 巻頭のコトバより
       

此処には、旅てうものが如何に時空的なものであるかてうことがよく表現されてゐる。旅とは即ち、人生と同質の現象であり、個の意識と大地の意思の交感である。もとより大自然は人間様等に関心は無いが、その無関心さが寧ろヒト側からの情緒の付着を促進してゐるワケだ。
旅が時空的現象である以上、それはいとも容易に哲学や無常観と親和したのち、例へば我輩の場合、流浪、放浪、彷徨方面へと発展的且つ成り行き的臨機応変七変化。まあ難しいことは抜きにして、日常では露見させる必要の無い、無意識の領域に秘められた自分の本質を自覚出来るのも旅の効能だらう。罪の部分としては、逃避、逃走、逐電、失踪、厭離穢土?、よくわからんが日常への復帰を不可能にさせる魔力も秘められてゐることを忘れてはならない、のかしらむ?